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一体、何を第一に尋ねたらよいでしょうか?

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有り難し有り難し 6

5月末に、坐禅会に行くのですが、情けないのですが、何を尋ねようか考えあぐねています。
そのお方の坐禅会は、3ヶ月待ったもので、
決して少しでも無駄にしたくなく、有意義なものにしたいのです。それならば、大分前から考えられただろう!と思われると思いますが、
ある程度は、質問を纏めたのですが、いまいちパッとせず、煌めかないのです。
なぜ坐禅会に行こうと思ったかというと、随聞記に自分で正しいと思うところがあっても、
もっと正しいところがあるかも、しれぬ。広く師僧たちにも尋ね、先人の言葉なども調べてみるべきである。と書いてある事と、僕の師事している方も、色んな方に会って、尋ねるのがいいよ!と言った事です。
もう一つあって、今、思うところ、僕は、すぐに自惚れて得意になり一つの見解に落ちて、それで人や物を見て、聖や凡に振り分けていたけれども、そもそも何に気付いたかといえば、
鳴かぬカラスはなんとでも鳴く、鳴らぬ屁はなんとでも鳴る。
人に、カラスの鳴き声は、どんなもの?と、尋ねれば、人の数だけのカー!!が、あるでしょう。一人一人が鳴き声を思い浮かべ、それは異なります。カラスの鳴き声は、このようなものだ!と、持ち込んでも実際の鳴き声はその瞬間だけのものです。
過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得という実際、僕らの有りように気付いたのに、後から頭で分別し、悟った立派な人と、悟らぬ凡夫という具合に分けていたのです。
今、私には凡人も別格の人もおらず、ただその人が見えます。誰にも鎖など、ついていません。既に救われております。
大海という土壌の上に波が立ち、風という縁で波という僕らが生まれて、やがて波の一つ一つも大海という仏に還る、といった具合に考えていたけれども、それは大間違いで、
僕らは初めから、波などではなく、大海どころではなく、どこまでも際限のない無限の広がりそのものであり、陽光が照らす花そのものだった。
宇宙に比べて人間は、ちっぽけである。と人は言うが、あなたが宇宙そのものだとしたら、どうか?今から目指して成るのではなくすでにそうなってあるのだと、今、世界中で起こっている争いに限らず、僕らの苦しみが、世界中のいわゆる悲劇は、ほんの些細な勘違いによるものだとしたら、なんと悲しく哀れに思う。自惚れているかもしれませんが、僕は、仏法以外に人の世が、救われる方法は、ないと思います


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

簡潔にする

おはようございます。

 坐禅の後に茶話会(質疑応答)があるのでしょうか?
 予約の順番待ちのある坐禅会があるとは初めて聞きましたが、3ヶ月待ちだったとの事で多くの方が質問したいと思いますので、質問はなるべく簡潔に、どこかで聞いてきた話やどこかで読んだ話はやめ、また自分の見解を述べるのではなく、質問部分だけを抽出し質問するのがよいでしょう。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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質問者からのお礼

鳳林寺様
ありがとうございます!閃くところがありました!日が迫って来て、緊張し、吐き出してしまいたかったのも、ありました。情けないです…
また、機会があった時は、よろしくお願いいたします。

「坐禅について」問答一覧

アドラー心理学と禅

法律事務所を経営しています。 顧客も案件もたくさんあるのですが、儲からず忙しいばかり。儲からない案件もお金を取らないで受けてしまうからです。 結果、大量の仕事に追われ、催促の電話に怯え、無力感や罪悪感で死にたくなる毎日です。月に1~2回、本当に自殺しそうになって思いとどまるようなことが1年くらい続いててかなりツラいです。 そんなときに、ベストセラーになった「嫌われる勇気」(アドラー心理学の本)を読みました。そのなかに、 「自分がした善行に相手の配慮を期待するのは筋違い」 「受けた善行に返報しないことに罪悪感を覚えるのも筋違い」 「助けを求められてそれに応えないことに、罪悪感を覚えるのも筋違い」 「自分が何をすべきかは「自分の課題」であり、それを相手がどう感じてどう対応するかは「相手の課題」だから」 「自分の課題と相手の課題を混同してはいけない。相手の課題を勝手に自分の課題にするから苦しくなる」 というようなことが書かれてました。 自分は誰かの役に立つことは好きなのですが、そのことでお金を請求するのが苦手です。一方で、役に立つことをしてるのに相手から配慮して貰えないと苛立ったりします。また、何かを頼まれて断ることに罪悪感を覚えます。断ったら「嫌なヤツ」と思われるかもしれないという恐怖もあります。 アドラーの指摘するように、自分の課題と相手の課題を切り分け、「お金を請求して、支払うかどうかは相手の課題だから、気にせず請求すればいい」「相手の役に立つことをしても、それにどう応じるかは相手の課題だから、相手の配慮を期待するほうがおかしい」「頼まれ事を断ったとして、それをどう感じるかは相手の課題だから、どう思われようと気にすることはない」と考えれば確かに楽なんですが、お坊さん的にはこうした考え方ってどうなんでしょうか? そう考えると楽なのは分かるんですが、なんとなく腑に落ちないのです。 以前聞きかじった禅の思想(教え?)で、「一時の結果や他人の評価など気にしても仕方ない(どうせ本来無一物/諸行無常)」「自分は自分。他人は他人(主人公)」みたいなのがあった気がします。うろ覚えですが。 禅にも似ている考え方があるんじゃないかと思い質問してみました。 実は人に相談するのもとても苦手です。 ご回答頂ければとても嬉しいです。

有り難し有り難し 34
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