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無縁仏様の供養について。

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はじめまして!無縁仏様の供養について質問です。
最近、主人の実家の祖父の弟さんがアパートで孤独死で見つかったとの連絡が実家に警察から入ったのですが、昔かなりの酒乱で迷惑をかけていたようでずっと連絡も取らず何十年も疎遠になっていたとの事で遺体の引き取りは頑なに拒んでいました。他にも弟妹がいるのですがやはり引き取りたくないとの事で、行政に頼んで無縁仏様としてお願いしたようなのですが、なにか身内で供養しないとあまりよくない事が起きたりするのでしょうか?最近、主人が夜勤でいない時に子供達と部屋で寝ていたりするとリビングで子供が走るような音(アパートの2階建てて2階に住んでいます)がしたり、物が落ちていないのに大きな物音が聞こえたりします。その点が気になり今回質問させて頂きました。よろしくお願い致します。
長文・乱文失礼致しました。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

南無阿弥陀仏

はじめまして、こんばんは。

ご主人のご実家の祖父の弟さんが寂しい最後を迎えられたのですね。できることであればどんな人であっても一人の人が命を終えていったということには敬意を表して、何らかの形でお弔いをしていただきたいところです。しかしこれまでに色々とご事情もあり難しかったのでしょうか…ここに謹んで哀悼の意を表します。南無阿弥陀仏

さて、お弔い、つまりご供養をしていただきたいと申しましたのはそれをしないと「あまりよくない事が起きたりする」からではありません。
良い悪いではなく、人として「大事なこと・大切な感覚」に出会わせていただくためです。どんな人でも同じように生老病死を避けられない命を生きています。その命の終わりというものを尊厳を持って扱っていただきたいという願いからです。

その「大事なこと・大切な感覚」に出会っていないと、自らにとって良くないことを亡き人のせいにするような迷いを離れられません。
仏法に出会いましょう。命の尊厳に出会いましょう。そのためにもご供養の機会をもたれてはいかがでしょうか。
今回このような形でも気にかけていただいたのも一つの縁です。この縁が仏法との出会いにつながっていくことを一人の僧侶として願っています。

ご供養されても、「良くない事」があったり、気にされているような現象がなくならなかったりすると、「なんだ供養したのに」と思うかもしれません。しかしそれすらも仏法との出会いの縁になります。
結局「良くない事」の原因を何かのせいにしている内は良くない事はなくなりません。原因が無縁仏の供養だったり、あるいは例えばですが嫌いな人だったり、風水だったり…そうして次から次へと何かのせいにしているうちは永遠にその迷いから離れられないでしょう。
しかし縁を求めることをやめなければいつか「良くない事がある」のでなく「良くないと思っている私がいる」ことに目覚めます。
その時に仏法とは「この私」の在り方を問題とする教えだったのかと気がつきます。

命の終わりとは特にその「大事なこと・大切な感覚」が強烈に揺さぶられるご縁であります。
一人の人の命の終わりから、その供養を通して「私の在り方」に出会うことが願われています。

なお、気にされている現象については別の原因を考えた方がよいでしょう。少なくとも無縁仏の仕業ではありません。ご安心を。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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深い懺悔と感謝

いつもありがとうございます。三月の桃の節句も過ぎ、お彼岸が近づいてきました。hasunohaの皆様におかれましては日々、健やかにお過ごしのことと思います。 一時期、私は人生をひっくり返すほどの思いに駆られたこともありました。今年のバレンタインを過ぎた頃から、今は家族のありがたみを強く感じるようになり、毎日思いやりに支えられ、相変わらず週7日休み無しで外での仕事に励んでいる今日この頃です。 毎日が平和で穏やかな落ち着いた空気、他愛もなく些細なことの積み重ねですが、それらすべてが本当に、職場も家庭も、そして治療院にも、良い人たちにご縁があったこと、ひとつひとつに感謝です。これからも日々の幸せを大切に育んでいくことが、ご先祖様への恩返しにも繋がる明るい人生への道標なのかなと有難く思います。 お世話になった治療家の先生に、しばらくお休みすることを伝えました。その節は本当に、この上なく尽くしてくれたことに深謝の限りです。つい先生の優しさに甘えてしまい、助けたい側と助けられる側の引き合う力がぐいぐい強くなりすぎてしまった節がありました。徐々に私の感情が不安定になり、体調も崩れてしまい、元の近所に戻しました。いろんな人に打ち明けた昨年から年末年始と引き換えに、この春先は自分自身とひとりで向き合う修正が必要になったこと…あらためて自己成長へと繋げる良いきっかけになりました。 今でも毎日、先生のことが心に浮かんできます。それだけ特別な存在であることには変わりありません。頂いた思い出、温かい言葉の数々が、前向きに仕事に取り組む原動力となってくれます。2月といえば、確定申告に自動車免許の更新の時期。両方ともクリアでき、特に下がると思っていた年収が微々たる上昇していました。驚きを隠せず、念願の学びのための貯金も着実に増えていること、とても有り難く思います。 他の先生からみても親しくなりすぎた故に、遠慮もなくなり、お互い言いたい放題で喧嘩状態にもなりました。本音を明かした(ぶつけ合った)ことは、それだけ相手を強く思うからでもあり、アンビバレントそのものでした。ひと月近く、間を空けた今、直筆の手紙で、お詫びとお礼、そして相手の未来の幸せを願う想いを伝えたいです。 共に成長しあえる良い関係でいられるよう、しっかりとした自分となるために、アドバイスいただけましたら幸いです。

有り難し有り難し 5
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