飼い猫を亡くしたあと、後悔の日々です。
2ヶ月前に16年間飼っていた愛猫を亡くしました。
19歳でした。
ずっと大事に大事に飼っていたのに、私に子供が生まれた2年前から冷たくしていました。
以前からの猫の粗相や夜鳴きに、子供が生まれてから耐えられなくなり、激しく怒ったり叩いたことも多々ありました。
去年の夏くらいからは、ペットシートをひいた小さな部屋に隔離し、粗相が気にならなくなったので怒ることは減りましたが、疎ましい気持ちが消えず、やはり夜鳴きすれば怒りました。
毎日の餌やり、トイレ掃除と、たまにブラッシング程度の世話に部屋に赴いたり、子供を伴って様子を見る程度であとはほおっておくような日々でした。
それまでは家の中を好きなように歩いて暮らしていたのに。
自分が恐ろしいのは、猫にこんな生活をさせて、多少悪いとは思いながらも平気だったことです。
今思い返すと胸かきむしられるほど可哀想なことをしたと悔やんでいます。どうして今の十分の一でもいいので哀れと思えなかったのか…。
ずっと愛し合って暮らしていた私から急に冷たくされて、なんのことか分からなかったでしょう。
私自身、やはり猫を愛していたのだと気付いたのは彼女が亡くなる1日前でした。
いよいよ命の火が消えそうな彼女の前でやっと気付き、置いていかないでと号泣したところで、遅すぎたのです。
なんでこんに愚かなのでしょう。
本当に自分が恐ろしいです。今の所子供に虐待などはしていましていませんが、その芽があると思い、十分に気をつけて毎日を送っています。
でも、虐待をしないにしても、こんな恐ろしい人間が母親だなんて、無邪気に慕ってくれる娘に申し訳ない気持ちで一杯です。
どんなに後悔しても猫にした仕打ちは消えず、今一生懸命供養していますが死んだ愛猫を幸せにはもう出来ない。死というものの取り返しの付かなさにも恐れおののいています。
一生、この後悔を抱えて生きていかなければと思っていますが、私に償う方法などあるでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
亡き命から教わったことを大切に
悔いの残る最後を迎えてしまったのですね。
しかし一生後悔できるほど人間は一つのことを徹底できないものです。徹底できるのなら愛も徹底できたはず。愛も憎しみもご都合次第なのが人間です。
だからこそ目の前のご縁をいただいたいのちを大切にしましょうと猫ちゃんは教えてくれたのでしょう。
供養ももちろん大事ですが罪滅ぼしの供養であるならばそれこそまたご都合主義になってしまいます。
猫ちゃんが教えてくれた大切な事を、nanaさんが大切にしてこれから生きていく。亡き命を大事にするとはそういうことではないでしょうか。
後悔しても戻らないものがある。今目の前の命を大切に。
お子様と縁ある人たちと幸せに暮らしてください。
「思いをおしつけることが愛ではない」「人はいつでも我が身の都合に溺れる」「後悔のないよう目の前の縁を大切に」
猫ちゃんから教わった大切な事を胸に歩んでいきましょう。
最後に猫ちゃんのご命終に謹んで哀悼の意を表します。
南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
吉武文法様
お忙しい中、お言葉をありがとうございました。読み返すたびに涙が溢れます。
亡き命を大切にすることは、猫が教えてくれたことを大切にして生きていくこと。
肝に命じます。
そうして縁あるものを心から大切に生きて生きます。
そうすることで彼女に死を無駄にしない、彼女の生を少しでも意味があったものにしたいです。
こちらに相談をするか迷いましたが、お言葉を頂けて本当に良かったです。
今まで何も学ばず、ただじぶんの悲しみ、後悔の苦しみにいっぱいいっぱいになっているだけでした。
仰る通り私は本当にご都合主義な人間だと思います。
愛も憎しみもご都合次第。まさにその通りです。私の都合に振り回されて猫には本当に申し訳ない。
もう2度と、誰にもこんな思いはさせたくないです。
供養は、猫の来世の(それがどういったものなのか、あるのかどうかも分かりませんが、あると信じて)幸せを願ってやっていこうと思います。ご都合主義の部分があるのは否めませんが、本当の供養になるよう努力します。
こんな私に優しい回答を頂き、心から感謝いたします。