考え方の癖が抜けません。

もう10年以上前のことです。父親のアルコール依存症と機能不全家庭の問題で、家庭が崩壊しました。
今は平和な生活をしてます。

悩んでいるのは考え方の癖が抜けないことです。
家庭崩壊して一人暮らしをしているとき、過去の記憶がよみがえり苦しくなった時、
父親が早く死ねばいい、アルコール依存症の平均寿命は52歳だから
もう死んでるはず。と考え、恨みと悲しみと悔しさと、自分にはなにもできないという、負の感情がないまぜになった状態でした。

寺社におまいりして思うことは、何もできず、逃げ出した私を赦してください。

ある時、願いが通じたのか
街中を自転車で走っている時、道の向こう側から呼び止められ
振り向くと父親がいました。
お酒がぬけた顔で、こざっぱりした服装で、両手を前に丁寧に組み
少し嬉しそうな顔をしながら会釈をしていました。

私は逃げました。罪悪感と無力感を抱いていたけれど、
父親はこれからの私の人生に必要ないと確信していますから、
それきりです。
変な話ですが、父親の姿をみた瞬間、私は神仏に赦された気がしました。
私がいようがいまいが、父親は立ち直っているよ、と
会わせていただけたのだと思います。

逃げていいんだ、大丈夫。
赦されたんだ、大丈夫。
しばらくそう思って、平穏な感覚を持てていたのですが、
長年の負の感情がまた出てくることがあります。
罪悪感と無力感。

単なる考え方の癖なんだと思ってはいるのですが、
どうにもうまくいきません。
どうすればいいのでしょうか。

有り難し 22
回答 3
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

神仏の赦し 家族の呪縛からの解脱

人間には尊厳があります。
あなたは▢▢家に生まれた。
父〇〇さんの娘であり、
母△△さんの娘です。
ですが、あなたは◎◎さんであって、お父さん〇〇さんではありません。
〇〇さんとは、深いつながりがありますが、現時点においては、別々の生命体であり、別々の人格であり、今もこの時間にお二方ともまるで別々の行動をしており、別存在なのです。

あなたはお優しいから、家族への振り返りがある。
そういう気持ちが沸き起こる。
本当はお父さんを素直に愛したい。愛したかった。
だけど、あなたの守るもの、大切なもの、大切な人の幸せを壊してしまったから、それが赦せない。
ご安心ください。
赦すべきは、お父さんでなくていいのです。
自分の心をゆるめる事で解決です。
お父さんに対する、思いの執着をちょっとだけ緩めればよいのです。
それが、執着を手放す事、ゆるめ、赦しです。
許す許さないのは人間の為すことです。
許せなくて構いません。
ですが、❝許し❞とは異なり、神仏、無私の状態として、誰もみんな独立存在なんだと、自覚することが『赦し』なのです。

お父さんを許します、という事に抵抗があればそのままでよいのです。
ただ、お父さんを赦すために、お互いそれぞれの尊厳を認め合うために、
自分をゆるめてください。

父は父で不運だった。未完成だった。
私も私で不運だった。未完成だった。
お互いがみな、それぞれ向上中で、発展途上で、未完成なのです。
その未完成ながらを 肯定する 認める 容赦する だけでいいのです。
あなたは、あなたのように生きてイイ。
あなたの人生なのだから。
それに気づいた時あなたはお父さんと自分を責めることをやめ、自分が赦すのではなく、大きな存在によって全体が緩められる力を感じるはずです。
それが、人間の許しではなく、神仏の赦しです。

2年5ヶ月前

それが人生と認めること。

はるこ様

私も、家庭で同じような経験があるので
ふとした時にフラッシュバックして、苦しんでしまう感覚を理解しているつもりです。

そして、私も罪悪感と虚無感と戦って時間を過ごす日がありました。
ぶつけようのない感情の処理、思考の向けどころに困りました。
しかし、仏教の考え方で救われたことがあります。

それは
「人生は思い通りにならないことが当たり前」 ということです。

なにか呵責を覚えることがあると
どうしても、自責の念にかられ過去を思い出してしまいます。
そして、解決することが出来ないのはわかっているのにも関わらず
考え続けて、悩みます。

それは多分止められない、変えられない、仕方のないことなんだと思います。
それを無理に考えないようにしようとしたところで、絶対に蘇ります。

そうではなくて、
人生とはそういうことが当たり前に起こる と認めてしまうのです。
酒に溺れてしまった父。
逃げ出してしまった自分。
返事を出来なかった自分。

それは、その時に最大限に表現した等身大のはるこ様なのかと存じます。
どうしようもなかったはずです。

そんな風に、思い通りにならないのが人生であり生きることなのかもしれません。

私は、この思い通りにならないことが当たり前である、という考えに出会い
救われたように感じました。

はるこ様のみならず、人は皆、思い通りにならないことを抱えながら歩いている。
反省してもしきれないほどのことを抱えながら歩いている。

だからこそ、ちょっとでも嬉しいこと、幸せに感じることがあると
本当に生きていてよかった。
ありがとう。
と感じることが出来るのではないかと思っております。

人生は思い通りにいかない。
これはネガティブな考え方でも何でもなく、真理です。
今までの苦しいこと、お父さんのことは、
これからの幸せを感じるための布石だったのかもしれません。

すべてひっくるめて認められると
思考の癖も認められるかもしれませんね。

2年5ヶ月前

心理カウンセラーのお坊さん

あなたの悩みは、普通のお坊さんのなかにも適切な助言を与えてくださる方もあるでしょうが、専門の臨床心理士や心理カウンセラーをなさっているお坊さんの方がよりよく答えてくださると思います。

臨床心理学と仏教はかなり近い関係にあり、臨床心理学の研究者が仏教を学んだり、お坊さんが臨床倫理学を学んだり、といった話はたいへんよく聞きます。

したがってインターネット上で検索すれば、それこそいくらでもあなたの悩みによい助言を与えてくださるお坊さんを見つけることは可能です。あくまで一例として私と同じ浄土真宗本願寺派のお坊さんで心理カウンセラーさんをご紹介しますと、季平博昭さん(広島)、中神章生さん(滋賀)などがおいでになります。

2年5ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

お二方、ありがとうございます。今は感謝の言葉しか出ません。ありがとう。

小野様 同じような体験をし、共感いただけた上でのお言葉ありがとうございます。まだまだ混乱している心なので、いまはありがとうとしか言葉がでません。頑張る気はありませんが、みとめられるようになりたいなと思います。

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