消えたいです
私は弱いです。
とても弱いです。
頑張ることができません。
踏ん張れません。
迷惑をかけてしまいます。
迷惑をかけた自分が憎いです。
なんで頑張れないのと腹が立ちます。
みんな嫌でも頑張っているのに、なんで私はできないのと涙が出てきます。
辛いです。
嫌でも行くっていうのを何度もやっていくうちに慣れてくるんじゃない?
そう親に言われました。
たしかにそうかも、と思いました。
でも踏ん張れない。
今まで頑張ってきたけど限界
こう思ってしまう自分に
私はほんとに弱いな、限界になるのが早すぎるなと心底思います。
逃げかもしれないしズルいかもしれないけど、
誰とも関わりたくないです。
きっとまた迷惑をかけてしまう。
消えたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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弱い自分を引き受ける者は強い
迷惑をかけてしまう弱いご自分のことを憎み、「消えたい」とまで苦しんでおられるのですね。
しかし迷惑をかけることを嫌がる、悩むというのは「迷惑かけなくて済むはずなのにかけてしまう」という「本来強いはずの自分」をまず立てて、それに不本意ながらかなわない自分というものを嘆いているような姿ではないでしょうか。
弱い自分を認めるということは「迷惑をかけなければ生きられない」私の姿を認めることであります。
迷惑をかけることが弱いのではなく、迷惑をかけなくてすむようにと悪戦苦闘してもがき苦しんでいる姿が弱いのです。
弱さを認めるとはしっかりと迷惑をかける自分を引き受けられることであり、それは実は何よりの強さともなります。
これは何も「迷惑かけて当然」と開き直れと言うのではありません。迷惑をかけてしまう身だからこそ、そんな自分を「恥じる心」と助けてくれる周りへの「感謝の心」を持って生きていきましょうということです。
迷惑はかけていいのです。
しかし迷惑をかけておいて「もうここにはいられない」と次にいくのはどうでしょうか。
そこには「次に場所では迷惑をかけなくてすむはず」という自分がいないでしょうか。ある「いはいつも許してくれる安心の場においては全く私は迷惑ではない」という慢心はないでしょうか。
どこまでいっても「迷惑をかける私」をしっかりと引き受けるならば、今この場所で恥じる心と感謝の心を持ちながら歩む道が開けます。
逃げることは楽です。誰ともかかわらないことも確かに楽です。しかしその楽に甘え続けるならばやがて大きな苦しみが返ってきます。そしてそこには誰にも「関わらず一人で生きられる」という慢心も見え隠れします。強がりの自分です。
口先で弱いというだけのプライドを捨てましょう。しっかりと弱さを引き受けて歩んでみませんか。
今まで既にはるかさんなりによく頑張ってこられたのだと思います。
しかしそれは「頑張れている自分」という立場に立って、それでも思う通りにいかないことにいら立ち投げやりになってはいないでしょうか。
弱さを認めて、周りのおかげで「頑張らせていただいている自分」に気づき、恥じる心と感謝の心をもって、迷惑をかけながらボチボチとやってみませんか?
道は楽ではありません。でも楽だと思う道は最後に苦あり、苦の道は道中にかけがえのない楽があることと私は思います。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
逃げずに頑張ってみようと思います。
辛いこともあると思いますし、これからずっとヤダヤダと思うはずです。
でもそれはどこに行っても同じだと気づきました。
迷惑をかけてしまうと思いますが、それでも頑張って進んでいきたいと思います!