聞かなきゃよかった…
今日、主人が亡くなってずっと気になっていたことを検死した刑事さんにきいたのですが、会社で亡くなったのでその時いた会社の人に聞けば良かったのかもしれませんが、刑事さんに聞きました。私はただ、何処が痛いと言っていたのか、具合が悪くなってからどれくらいで病院へ行ったのか聞きたかっただけだったのですが、確かに、会社の人へ強いストレスを受けながら仕事をしてきたので会社の人とは話したくなかった、とは言いましたが、救急車を呼んでくれなかった、なんて一言も言ってないのに、救急車を呼ばなかった事について会社の人に責任があるかといえばそうではない、とか、会社にストレスはつきものだ、とか、途中で、あ、ファスナー開いてた!と、言われなかったら気づかなかったのですが、ズボンのファスナーを閉めたり、話をしていて、なんだか、会社側の味方のように感じました。刑事さんに聞いたことが間違いだったと、聞きたいことは知れましたが、今日ずっとモヤモヤしています。もっと親身になって話してくれるとばかり思いましたが残念でした。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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期待をするから悩み苦しみが増える
あなたは、その刑事さんがどんな人か知らないのに、勝手にその人の理想像を創り描いて、勝手に期待して、勝手に裏切られて苦しんでいたのです。
自分の心の中で独り相撲をしていたのです。
ファスナーが開いていたことは、さらに全く関係ないエピソードです。
なんでもかんでも「嫌だ、むかつく」という怒りの色眼鏡で見てしまうと、人生のストレスが増えます。
仏教では、怒りや恨みは悩み苦しみの原因、ストレスの原因だと考えます。
会社への怒りや恨みを忘れた方が、あなたは楽になれます。
だから、私がその刑事さんだったら、あなたの会社への怒りを和らげるように意見を言うかもしれません。
会社を弁護するためではなく、会社を恨んでも辛いだけだと悟ってもらいたいから。
しかし、そのような態度を、しばしば「敵の味方をするのか」と思ってしまう人はいます。
このハスノハに相談する人にも、残念ながらそういう人はいます。
怒りや恨みを忘れた方がよいという発想を持てたとき、たとえ忘れられなくても、人生はかなり変わると思います。