家族の死が心配でたまりません
私は、自分の死に対しても恐怖感が強いのですが、それよりも家族の死が恐ろしくてなりません。子供たちの無事を確認しないと、いても立ってもいられず、しょっちゅうメールやラインを送ってしまいます。つまり、人はいつ死んでもおかしくないという事実が恐ろしいのです。主人に対しても、同じような気持ちで、少しでも帰りが遅いと不安感に襲われます。家族との別れを想像しては、苦しい気持ちになりますし、そうなったらどうしようとうろたえてしまいます。妄想だとは 分かっていますが、気になって仕方ないのです。そのとき考えようとか、別のことを考えようとか工夫しますが、すぐ妄想にとりつかれてしまうのです。人が死ななかったら、どんなに気が楽だろうと思います。不可能なことですが。自分の死についても、常に病気の心配をしていて、自分の寿命が気になって仕方ないのです。自分の死も、考えだすと怖くてたまらず、だからと言って、誰にも話せず、毎日悶々としいます。家族の死も自分の死も怖くてたまらないのです。どうか私を助けてください。どうぞよろしくお願いします。
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目の前を見失わず
拝読させて頂きました。あなたのお気持ち本当によくわかります。
私は以前自分の命や家族の命が終わったら、皆死んでしまったらどうしようとずっと思い続けていたことがあります。そして孤独の淵にいつも立たされ誰も私のその気持ちを分かってくれはしませんでした。
家族がいるにも関わらず夜も寝られずにそのことばかりを考え続けて恐怖におびえていたことがありました。そしてどんどんエスカレートしていき不眠症になり精神障害を抱えるようになり心身疲労で倒れてしまいました。
そうなると己の生命維持も危うくなり余計に恐怖におびえて食事もできなくなり意識朦朧となり自分が生きているのか死んでいるのかも分からなくなってしまいました。
恐らく生死の狭間になるとその命について「人は必ず死ぬ」という現実を受け入れていくこととなっていきます。それが正しいこと自然の摂理に合うこと、そしてまがうことなき真理だからです。
その真理の中で私たちは初めて存在できていることに気がつくと思います。
諸行無常のその中で私たちは初めて生かされていることそれが事実ですから。
お釈迦様がお説きなさったその真理を私たちは受け入れていくことが大切なのではないかと思います。
あなただけではありません。死の恐怖は確かにあります。が、それでも私たちはしかっりとこの世界で生かされております。そして正しい教えを知ることができます。
あなたや皆さんが共にお互いに人生を大切に思いやりながら一日一日を心も健やかに充実なさりながら幸せに生きて頂きます様心からお祈りさせて頂きます。
どうか目の前の一日一日を見失わずにしっかりと前を向いて生きてくださいね。
質問者からのお礼
早速のお返事ありがとうございました。何度も読み返させていただきました。私の気持ちをわかってくださったことに、まず感謝し、同じような、いやそれ以上の苦しみを経験なさったことに驚きました。その方がおっしゃることですから、すっと言葉が心に入りました。特に、人は必ず死ぬということ。当たり前のことですが、心から理解していなかったように思います。これから、何度も反芻して、自分なりの答えを見つけて行きたいと思います。祈ってくださってありがとうございました。