死ぬのが怖い
こんにちは、拙い文章だとは思いますが読んでいただけたら幸いです。
私はよく死んだらどうなってしまうのかを考えてしまいます。自分がなくなるのが怖い、死ぬのが怖いと思い涙が止まらなくなります。体も重いです。
最初に一番悩んだのは高校2年生の時、死ぬことや自分が存在するということを考えすぎてご飯も食べられなくなりあまり眠れませんでした。母親の前で大号泣しなんとか克服したのを覚えています。そこからは、たまに死んだらどうなるのかが頭をよぎることはありましたが、なんとか考えないようにしてきました。
そして今、24歳になる私ですが、ここにきてまたこの思考を止められなくなりました。というよりも止めてしまうことが怖いのかもしれません。前ほどではありませんが寝つきが悪くなり睡眠時間も短くなり仕事に集中できない日が続いています。涙も止まりません。
ネットで色々見て自分以外にも考えている人がいると安堵する気持ちとそこからまた他人がいる、思考している、とどんどん自分が存在していること、なくなったらどうなるのかと結びつけて怖くなってしまいます。
生まれ変わりや幽霊はいるなど信じていないわけではないですが、もし生まれ変わりがあったとしてもその思考が自分ではない(現に私は前世の記憶はありません)と考えてしまい、励ましてもらってもうまく消化できないでいます。
それでも自分の中だけでは苦しくなるだけなので相談してみました。皆様のお考え等を教えていただいきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたは日々生まれているのです
拝読させて頂きました。
あなたが死ぬのが怖いと思っておられることを読ませて頂きました。死んでしまうことを考えると涙が止まらなくなってしまったり、ご飯ものどを通らなくなってしまったり、眠れなくなってしまうのですね。今までなんとかあまり考えない様になさっていらしたのでしょうが、最近どうしても死ぬことを考えてしまって止められなくなってしまうのですね。あなたがその様に思われるのもとても自然なことですし、もっともなことです。あなたのその恐怖を心よりお察しします。
あなたもよくご存じだとは思いますが、私達は様々な巡り合わせの中で命を頂き、多くの方々とのご縁に恵まれながら毎日を生きております。そして毎日沢山の命を頂いて生かされているのです。
私達のご飯は殆ど全て命です、そのあまたの命を食べてエネルギーに変えて血が巡りあらゆる器官は働き、新鮮な空気を取り入れて細胞は常に移り変わっているのです。古い細胞は死んで老廃物になり新しい細胞が生まれて私達の身体は常に生死を繰り返しているのです。
ですからあなたが死に恐れおののいている最中にもあなたの一部が死んで新たな命が生み出されています。
私達は与えられたそれぞれの天寿を全うして往くのです。その時には仏様や神様が私達を速やかにお導きなさって下さいます。先に往かれた親しい方々やご先祖様が私達をあたたかくお迎えなさって下さいます。私達は仏様や神様のもとで一切の迷いも苦しみも恐れも痛みからも救われて心から安心し、ご先祖様と一緒に何の憂いも消え去り清らかに円満にご成仏させて頂くことができるのです。そして生きるご縁のある方々を穏やかに見守っていくことができるのです。
ですからどうか安心なさって下さいね。
あなたがこれからの未来を素晴らしいご縁に恵まれ生きていく様に、命を与えられて健やかにご成長なさっていかれます様に、大切な方々と一緒に心から豊かに幸せに生き抜かれます様に、そしていつの日か天寿を全うなさる時には仏様や神様がお導きなさって下さいます様に切に仏様や神様やあなたのご先祖様に祈っています。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
輪廻の仕組みは
スマナサーラ長老『死後はどうなるの?』角川文庫に書いてあります。スマナサーラ長老のyoutubeでもあちこちで語られています。初期仏教の見解はそれで分かります。
体には寿命が来ますが心は悟るまで終わることはなく、体の寿命とともにまた何かの生命に生まれ変わって新たに体を作って新たに活動します。心が決めることなので心に相応しいものに生まれ変わります。天人や人間だったり、幽霊や畜生や地獄だったり。
それは仏教の見方ですから、それと知ったうえで、受け入れるか、拒否して別の考え方を取るかは各人の自由です。仏教の中でも大乗が出てくると極楽浄土に簡単に行けるよなどという考え方も出てきました。
輪廻を受け入れるにせよ否定して別の考えを取るにせよ、さて、自分が死ぬのが怖いことを、どうやって克服すればいいでしょうか。私は死ぬときの体の苦しみや痛みが怖いタイプですが、自分が消える≒自分でなくなることについては、論理的に考えれば、恐怖を感じるはずはありません。
自分が死後消えてしまったら、消えたので、「私が消えた」と怖がる私さえいないのです。輪廻して過去世を覚えていない別の自分?になっても、覚えていないのですから、古い自分はいないのです。いなくなったと怖がることはできません。死ぬ≒消えるまでの間に死ぬ≒消えることを恐れますが、本当に死んだ≒消えたらもう恐れることは何もありません。恐れる本人がいないのですから。
本当は毎日どころか一瞬ごとに死んで生まれ変わっていると仏教では言います。たとえばあの楽しかった1年前にもう2度と戻れないことを今の自分が知っています。2度と取り戻せない生きた証は、言いようのない淋しさで襲ってきます。
その代わり、未来がどんどんやってきます。失った過去を惜しむ間もなく同時進行で新たな私がどんどん生まれるのです。うまく乗りこなして生き生きと生きると、過去を振り返るときにも満足できるのではないでしょうか。
質問者からのお礼
お返事遅くなり申し訳ありません。
ご回答くださったお二方には感謝申し上げます。
このように相談したことは初めてで自分に向けられたアドバイス、お言葉がとても嬉しかったです。
いまだに怖くなる時がありますがとりあえず1日、1日を生きていこうと思います。
本当にありがとうございました