死にたいと思いながら死ぬのが怖い
はじめまして。
どうしても苦しく、初めて投稿いたします。
中学生頃からずっと希死念慮があり、早く死にたいと思っていました。
大人なり愛する人に出会って、生きていたいと思うことが増えたのですが、それでも些細なことでやはり私は生きていてはいけない人間なのでは、と考えてしまいます。
死にたいと考えることで、夫に辛い思いをさせてしまう。夫に辛い思いをさせる私なんて要らないのでは、と矛盾した思いの堂々巡りになってしまいます。
そして、今年がん検診に引っかかり前がん段階で手術を受けました。現在は病理検査待ちですが、死にたいと思っていながら、いざ実際に死の可能性が目の前に来た時、最初に思ったことは「怖い」でした。
なんて弱くずるい人間なのでしょうか。
夫は癌になっていても、一緒に頑張ろうと言ってくれましたが、不安な気持ちはなくならず、意味もなく泣いたり八つ当たりをしてしまったり、毎日生きることが苦しいのです。
このようにままならない気持ちをどうしたらいいのでしょうか。
そしてこのままたとえ死んだとして、こんな私ではお釈迦様でもお許しくださらないまま、本当に無価値になってしまうのではないかと恐ろしいです。
まとまりのない文章になってしまい申し訳ございません。
このような場をいただけたこと、感謝いたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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過去の感情の消化
チカ 様 相談ありがとうございます。
中学生の頃から希死念慮ですが、その頃の感情に消化していない、納得していないものがありませんか?
例えば、離別の体験から悲しみを抱え、悲しみの感情が受け入れられず、自分がそこに居てはいけないとか、自分のせいでそうなったとかの思い込みを持ち続けていませんか?
また別には、自分の気持ちを受け入れらなかったために怒りの感情を抱えたけれど消化しきれずに、諦め・逃避の気持ちになり希死念慮を持つようになったなどです。
過去の感情に焦点を当てて、その感情が納得できるものとして、過去の解釈が変われば、希死念慮もなくなりますし、無価値ではないことに気づきます。
そのために、まずは、希死念慮や落ち込み、辛い思いの私(チカさん)が、悪いのではない。私に責任はないと思いましょう。念じてみましょう。
なぜなら辛い思いの原因となる体験は、あなたが望んだ体験ではないからです。
そんな体験が無ければ今のあなたは違ったはずです。さらに原因となる体験から、持った心の癖もあなたのせいではありません。あなたに責任はありません。
人の脳は、脅威の(嫌な)体験には、防衛本能が働いて、闘争か逃走か凍り付き反応を起こします。逃走の感情が強い時には希死念慮が宿ることがあるのです。
ですので、あなたに責任はありません。そのことよく思ってください。
お釈迦様は、ちゃんと今すぐにでもあなたを許すでしょう。さらにお釈迦様の微笑みを想像すれば、安心安全も感じていることもできるでしょう。
そして、自分の心と体をしっかりケアすることも大切です。
なお、過去の解釈をかえるとしたら、セラピストや医者を頼って振り返り、過去の感情をないがしろにせず、受け入れるように傾聴をしてもらってください。
参考にしてください。一礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。「全て自分のせいだと思っていること」は真逆であなたのせいではないと思います。そして念じるときに、良し悪しの判断せず、ただ自分の存在を感じるようにしてください。難しい時は遠慮せずご相談ください。念じることのお手伝いをさせていただきます。この度のご縁に感謝申し上げます。再礼
質問者からのお礼
ご回答をいただきありがとうございます。
仰っていただいたことを考えると、確かに過去の感情を消化できていないなと思いました。全て自分のせいだと思っていることもです。
まずはいただいたアドバイスの通り、念じてみます。
また落ち込みそうな時、死を思う時、何度も読み返したいと思います。
ありがとうございました。