こんな私でも
私は最近人の悪口ばかり言っています。面と向かってではなく一人で愚痴っています。
そんな自分が怖くなってきました。
本当は言いたくないんです。しかし、言わないとスッキリしなくて、嫌いな人に手を挙げてしまいそうで怖いです。
仏様はこんな私でも救ってくださいますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そんなあなただからこそ
仏様は生きとし生ける者を平等に救います。
しかしこんな例えがあります。
船が転覆して乗っていた人が海に投げ出されてしまいました。さあ仏様は誰から助けるかという話です。
それは救いから最も遠い溺れる人ですね。しかし自分で泳げる人であっても最終的には広い海ですから泳ぎ疲れて溺れてしまいます。ですから結局はみんな助けます。でもまずは自分で泳げる人は泳いでおいてもらって、自力では全く泳げない溺れる人から助けるということになりますね。
なつこさんは今、悪口の海に溺れているのですね。お釈迦様は人は生まれながらに口の中に斧を持つといいます。その斧でザクザクと人を傷つけるわけですが、口の中にあるわけですから一番傷つくのは自分なんですよね。
なつこさんは自分一人で悪口を言っているのですから正に自分が傷ついているのではないでしょうか。スッキリするのは一時の気休めで根本的な救いにはなっていないのかもしれません。
時には愚痴りたくなる気持ちもわかります。わたしだってそうです。お坊さんの私でもなつこさんと何も変わりません。でも一つだけ違うことを知っています。
愚痴りたくなったら愚痴や悪口の代わりに「南無阿弥陀仏」とお念仏するという智慧です。
南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏という仏様から「あなた自身の姿に気がつきなさい」と呼びかけられている呼び声です。私の発する声が実は仏様の呼び声です。
阿弥陀様は「悪口を言うな」とは言いません。「あなたをそのまま救うよ」とおっしゃります。
悪口を言う私をそのまま救うとおっしゃるもったいなさに、口から出るのは愚痴・悪口でなく「南無阿弥陀仏」というわけです。
ありがたやありがたや。恥ずかし恥ずかし。ナンマンダブツ
あなたを受け止めてくださいますからね
拝読させて頂きました。そうですね。ついつい愚痴や悪口が出てしまいますよね。あなたがそう思うそれは無理からぬことかと思います。
吉武 師がおっしゃるとおり僧侶の私達もそうです。
ですから私は朝お勤めする際に仏様に手を合わせながら昨日言ってしまったつい口から出てしまった愚痴や悪口そして心の思った怒りなどの感情を反省し、仏様に懺悔致します。
逆にそうして一日が始まります。仏様に洗いざらい己の愚かな事や悪意や悪業や愚痴や悪口をお話ししてそしてそんな愚かな私です、と心から懺悔致します。
仏様の像はじーーーーtっと私の方を見つめていて聞いていて頂けます。そしてすべてを受け入れてくださいます。
仏様はどのような事も聞いていてくださいます。そして己自身を見つめなおす様優しくお導きなさってくださいます。
全ての方のその様な悪口や悪業を聞き届け頂き、そして全ての方々を正しくお救いなさってくださいます。
あなたもどうか日々仏様を思い手を合わせてあなたのすべての事をお伝えなさってくださいね。必ずや仏様はお聞き届けなさってくださり、そしてあなたを正しくお導きなさってくださいます。
どうかこれからの毎日を仏様のお導きを受け、合間合間に愚痴をお聞き届け頂きながら心健やかに生きてくださいね。
いつ如何なる時も仏様はあなたを受け止めてくださいますからね。
質問者からのお礼
本当にありがとうございました!