親の偏った価値観に苦しめられる回答受付中
28歳、フリーターです。国立大学→教員になった親に能力主義的な価値観を植え付けられ、子供の頃から自発的感情、自分が思う生き方を否定され続けました。進学校→有名大に進むことを己のプライド、アイデンティティとしている親は、自分の正しさを証明する為にそれ以外の価値観を認めることができなかったのです。それは今も続いています。
私は親の価値観が絶対だと思っていましたが、様々な人付き合いを経て、いかに我が家の教育が偏っていて、相手を尊重する心を置き去りにしていたのか気がつきました。ただ、どうしても植え付けられた呪いから逃れる事ができず、日々自分自身を責める毎日です。これまで自分がどうしたいかではなく、いかに親の言う通りに生きることができるかどうかが全てだった私にとって、能動的に生きていく能力はとうに失われ、就職活動を迎える頃にはこれからどうやって生きていけばいいのかさっぱりわかりませんでした。同級生が自立して働き、結婚をして、お給料で親にこれまでの感謝を込めてプレゼントをしている姿を見て、吐き気がします。
衣食住困ることなくここまで来れた、これは恵まれていることで家族に感謝しなければならない、それは分かっているんです。ただ、自分にとっては人格形成期に心を壊され続けた毎日は忘れることはできません。
ここまで書いた大よそを親に伝えたこともありました。しかし、口では悪かったと謝るものの、全く反省の素振りもなく、他者を慈しむ心を忘れて1人の人生を苦しめている事実に気づく様子は見られませんでした。ある種サイコパス的なものを持ち合わせている人ですから、話し終えた時に泣きじゃくる私を見て笑うこともありました。親からしたら、きっと私の十数年の苦しみは理解できないのでしょう。話の最後に「じゃあこれから好きに生きたらいいじゃないか」と言われましたが、もう遅いのです。苦しみの中で自暴自棄になってしまい、大切な友達も恋人もたくさん失いました。積み上げたものが壊れるのは一瞬でした。この苦しみを解決しない限り、人付き合いもままならないのです。今も苦しみは続いているのに、それをわかってもらうこともできない。ただひとこと、これまでの過ちを認め、心からの謝罪がありさえすれば、全て救われるのに。希望はありません。暴力で罪を理解させようとしましたが、人の道を外れたくはないのです。
どうか、救いの道を。
13歳の頃から親とうまくいっていません。原因は自分が親の教育方針から逸れてしまったことです。両親は自分の限界まで努力を突き詰めなさいと教育してきましたが、自分は何事もほどほどで十分でした。数えきれないほど態度や生き方を責められ、いつしか少しでも手を抜いたら自分は人間失格であるという罪悪感に常に苛まれるようになりました。それと同時に、他人の甘えてるところに目がつくようになり、誰かと喧嘩や衝突してしまうと相手のことを許せず何度も責めてしまうようになってしまいました。
守るべきことがあっても、楽な方や楽しい方に逃げてしまいます。他人を許せず何度も責めてしまいます。
お坊さんからの回答 2件
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多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの自由を、あなたの特別を、大切にしていきましょう。
親自身も、自分の人生しか生きてきていないよね。それなのに、それが正解だと思っている。人の数だけ、生き方があるのにさ。そんなことにも気づかずに、哀れな人なのかもしれないね。
自分(親)の経験だけを評価して、子ども(あなた)に偉そうに押し付けてくる。子ども自身を見ずに、学校名ばかり気にして、それが人間の価値、幸せだと。なんとも乏しい視野ですよね。
生きてこられた=恵まれている部分はあっても、大切にされている安心を感じられなかったことは、親の責任だよね。
あなたが泣いて打ち明けた時、苦しめてしまったとちゃんと詫びてほしかったですよね。好きに生きたらいいなんて、散々 否定をして、ここまで狂わせておいて、簡単に言わないでほしいよね。
あなたはね、親が見ようともしなかった世界を生きていけるんだよ。フリーターだって、親が経験をしたこともない仕事にチャレンジしていける。親なら可能性とも思わないことにだって、期待して進んでいける。
あなたが思っていた「生き方」を聞かせて。それはもう叶わないの?何歳であっても、あなたの自由を、あなたの特別を、大切にしていきましょう。人の数だけ価値観もあるわ。あなたは何も悪くない。あなたの考えや想いを、私は大切に尊重したいよ。
大丈夫!あなたの人生は、これから創っていける
長年抱えてこられた深い苦しみを打ち明けてくださり、本当に有り難うございます。ご自身の置かれていた状況や親御さんとの関係性を、客観的に、そしてご自身の言葉で「偏っていた」と捉え直すことができた。これは、どれほど苦しい経験の中であっても、たろうさんご自身が確かに成長されている証だと、私は思いました。親の価値観が絶対ではない、と気づかれた時の衝撃は大きかったかもしれませんが、それは同時に、たろうさん自身の新しい価値観が芽生え始めた瞬間でもあったと私は受けとめました。
だからこそ、もうご自身を責める必要はありません。親御さんの価値観に縛られ続ける必要もありません。もちろん、これまで育ててくださったご恩、衣食住を支えてくれたことへの感謝の気持ちは大切です。しかし、その感謝の気持ちとたろうさんの「自立」とは、決して矛盾するものではありません。むしろ、たろうさんが自分らしい人生を歩むことこそが、巡り巡って本当の意味でのご恩返しに繋がると思っています。
親御さんに、過去の過ちを認め心から謝ってほしい、という切実な願い。それが叶えば救われるのにと感じるお気持ち、痛いほどよく分かります。でも、身近な存在だからこそ、理解し合うことが難しいという現実もあります。ですから、親御さんの態度や反応は、今はひとまず横に置いて、まずはたろうさんご自身が、ご自分の心と人生を取り戻すことに焦点を当ててみてはいかがでしょうか。
「自分は本当は何がしたかったのだろう?」
「何をしている時が一番心が満たされたのだろう?」
「これまでの人生で、嬉しかったこと、楽しかったこと、心が動いた瞬間はどんな時だっただろう?」
心の奥底にあるささやかな願いや喜びの記憶を、もう一度丁寧に思い起こしてノートに書き出してみてください。言葉にならない思いをただ吐き出すだけでも、心が整理されることがあります。
たろうさんの中には、今も確かに「生きたい」「楽しみたい」「やりたいことがある」というエネルギーが眠っています。それは、ご先祖さまから受け継いだかけがえのない「いのち」の輝きそのものです。だから、たろうさんは、決して独りではありません。あなたのことを理解し、応援してくれる「応援団」がいます。このハスノハも、その一つでありたいと願っています。ハスノハは、オンライン相談も可能ですよ。いつでも、声を聞かせてくださいね。
質問者からのお礼
真剣に言葉をもらえる、それだけでありがたいです
自分にとって大事なことをこれからも忘れずに生きていきます