hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

望むべきではない物をスッパリと諦めるには?

回答数回答 4
有り難し有り難し 68

 皆様からの、たくさんの真心のこもったご回答に助けられ、心の苦しみを除く方法を少しずつ理解し実践できるようになったような気がします。本当に感謝しております。

 皆様のご厚意に甘えすぎているようで申し訳ないのですが、またご相談させて頂きたいと思います。

 望むべきではないと分かっていても、つい望んでしまう事があります。いわゆる「無いものねだり」です。努力で手に入る物は別です。しかし、たとえ喉から手が出るほど欲しくても、諦めなければならない事はあると思います。

 それを手に入れている他人が羨ましくなるたびに、「自分には縁が無かったんだよ」とか「私には分不相応なんだよ」と自分を戒めるのですが、私もなかなか欲深い人間で困ったものです、、、。 

 欲しいものへの執着を捨てて、きちんと諦めるために、どのように心を向ければ良いのでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

欲しいと思うのはヒトの進化の結果

以前のご質問も読ませていただきましたが、私が感じたのは「少しご自身と向かい合い過ぎかな」という点です。

いや、それはとても素晴らしいことなのですが、物事には内的要因と外的要因の二つがあります。例えば外側から光情報が飛んできて、それを自分の目がキャッチし、脳みそで処理して「目で見る」ということが成り立つのですが、光情報が外的要因、目や脳が内的要因ですね。
心の中でこの内外のバランスが崩れると、「正しく見る」というスタンスが崩れて、苦が発生する原因の一つになります。

そうした時に、どうも北斗星さまの場合は『私には』分不相応のような内的要因の発言が多く、バランスが崩れているのでないかなという気がします。

お釈迦さまは異性への思いを止められらないお弟子さんをこんな感じにさとしました。「よいですか、人間というのはラッキョウの皮のように一枚づつむいていくと、最後に真ん中にあるのは大腸の中にある運の字なのですよ。それが人間の根本です。そなたが愛して止まない女性もつきつめれば運の字です。そう思えば女性への思いも変わってくるでしょう?」
このような感じで欲しい物の外的要因を考えてみてはいかがでしょうか?「自分には分不相応」ではなく「あれはそこまで良い物じゃないよ」と発想するトレーニングです。

もちろんその発想が行き過ぎ、うらやましい思いの裏返しで「あの人、あんなくだらない物もってるよ。ププッ」という感じになってしまうと、それはそれで苦を生みますが、程度の問題として「あれはそこまで良い物じゃないよ」と思っても良いのです。

あと、仏教では「○○が欲しい」という一次的欲求を煩悩(苦の原因)とは見なしません。これは本当に広く誤解されているのですが、違うんですよ。「もっと欲しい」という二次的欲求が煩悩です。正式な仏教語では『渇愛』と言います。
だから「欲しい」という思ってしまうご自分を許してあげることも大切です。一次的欲求はヒトの進化の結果なのですから、止めようと思っても止まりません。かえって止められないことが辛くなります。

そこを認めつつ、でも追いかけずに欲しいまま放っておけば、いつかそのうち消えます。なかなかスッパリとはいきませんけどね。スッパリとはいきませんけど、そういう心の持ち方を続ければ筋肉トレーニングのようにジワジワ効果が出てくるでしょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1600件を超えました


曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み) 最近YouTubeを...

南無阿弥陀仏ー仏さまにお任せ

亀山純史と申します。残念ながら、無い物ねだりの心を無にする方法は、私にはありません。私から北斗星さんに伝えられることは、次のことです。

『無量寿経』には、「田あれば田に憂へ、宅あれば宅に憂ふ。」「田なければ、また憂へて田あらんことを欲ふ。宅なければまた憂へて宅あらんことを欲ふ。」と説かれています。これはまさに今の北斗星さんの状態を言い当てている文言だと思いますが、経典で説かれているということは、何も北斗星さんだけに限ったことではなく、私たちは皆、そういうものであるということです。そして、良くも悪くも、「皆そうなんだ」という認識は、精神安定上、良いことです。さらに、現在の自分を少しでも高めようとするとき、現在の自分が他人(この場合は仏さま)から「皆そうなんだよ」と言われれば、「自分だけじゃないんだ。頑張ってみよう。」という気持ちにさせてくれます。しかし、それでは、いざやろう(欲望を抑えよう)としても、実際には、以前よりは少しはマシになるかもしれませんが、全てがうまくいくわけはありません。全く変化なし、ということだってあります。

そこで私がお薦めするのが、「南無阿弥陀仏」の念仏です。「南無阿弥陀仏」は仏さまからの呼びかけです。何と呼びかけているかといえば、「あなたの人生をこの私(=阿弥陀仏)に任せなさい。」と呼びかけているのです。「南無阿弥陀仏」と称えることによって、あなたの人生はあなたの人生でありながら、仏さまと共に歩む人生になるのです。

自分ひとりで何とかしようとしない。常に仏さまの支えがある。そんな人生を歩むならば、欲が必要以上に生じても(無い物ねだりの心が生じても)、自分の生き方を根本から否定することはなくなります。

以上、少しでもお役に立てればと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1600件を超えました


hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...

どんな立場にも苦しみはある

独身の人には独身の苦しみがあり、結婚したら結婚の苦しみがある。
仕事が多ければ忙しい苦しみがあり、仕事がなければないことの苦しみがある。
社会的立場が高ければ高い苦しみ、低ければ低い苦しみがある。
おばちゃん達が団体旅行で旅先の名物を食べて帰って来ても、
しゃべる土産話は「たいして美味しくなかった」「あれでこの値段は高い」「しんどかった、やっぱり家が一番落ち着く」
など、苦しみの話が大半でしょう。
あなたは、旅行に行く前のオバタリアン(死語)です。
行ってみたら行ったなりの苦しみを味わって帰ってくる。
だから、行けるなら行けばよいが、行けなくてもたいして問題はありません。
…と、自分に言い聞かせて悶々と、しかし明るく苦しんでください。
私からのエールは「(苦しんで)ざまあみろ!でも愛してるぜ!」です。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1600件を超えました


がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...

今欲しがっていない自分に学ぶ

お釈迦様と道元様の遺言の教えに八大人覚というものがあります。

小 欲 その通りに処する事(本来が自分の我欲、私見を交えられていない姿だから)
知 足 その通りに処する事(本来が今既にこと足りていて何の過不足もないから)
寂 静 その通りに処する事(本来が人間の見解と無縁な静かなさまだから)
勤精進 その通りに処する事(本来の精にして雑ならざる混じりけのない様子)
不忘念 その通りに処する事(本来正念が守られた無私なる姿が誰しもの本来の様子だから)
禅 定 その通りに処する事(その事に心が定まっているから私見が入らない)
智 慧 その通りに処する事(知識理屈を離れて事実に住しているから苦を離れている)
不戯論 その通りに処する事(余計なことをあれこれ思わないから事実に住するのみ)

全部同じじゃないかと思われますでしょうが、その通りです。
悟りという山の頂上に、のぼる道は違えど、そこに違いはありません。
悟ったら、ただ、そこに居られるだけになります。
今あなたも、それを欲していなかった時があったはずです。
殊更に念じて、我が物にせん、との思いを犬の首輪をはずしてほったらかすようにしているから、それにやられてしまうのです。
完全に一人で生活してみてください。
他人を意識する、我が身に良からしめんと、我田引水する心が無くなれば、欲しがりがなくなります。

足るを知るというは、今足りている事をみるのです。
元々要らなかった。
今、自分の本来の様子に立ち返ると、そういうものを必要としていないことに目覚めるはずです。あなたがすでに手に入れたものは今、どこにあり、どのように扱われていますか。
この身を離れて存在しているはずです。
すでに手に入れたものでさえ、要らない、必要とされていない、変な表現ですが、❝要られていない❞のですから、この心身は、もう要らないのです。
そういう実質に学んでいるから昔の坊さんは、何も持たんでも平気になるのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1600件を超えました


丹下覚元(たんげかくげん)
かくげん和尚の電話おなやみ相談  📞08020659278 そのモ...

質問者からのお礼

本当にありがとうございます。 皆様からご回答をじっくりと拝読させて頂いたこの2日間、心穏やかに過ごすことができました。心より感謝申し上げます。またいつか心が乱れた時も、その都度、読ませて頂くようにいたします。

丹下 覚元 さま
いつもご丁寧なご回答ありがとうございます!八大人覚、私にはまだちょっと難しかったですが、自分なりの解釈で読ませて頂きました。ありがとうございました。確かにおっしゃるとおり、以前は「それ」を欲しくなかった頃もあったし、今でも四六時中「それ」を欲しているわけではありません。本当に必要なものは、すでに足りているのですね。若い頃は「欲張り」であることがステイタスだと信じていた愚かな時期があり、欲しいものを手に入れることばかり考えていたような気がします。欲を野放しにしてはいけない、と肝に銘じます。 

亀山純史 さま 
いつもご丁寧なご回答ありがとうございます。最近は自分の生き方や人格を否定してしまう事が多く、苦しかったのですが、亀山純史さまのおっしゃるとおり、無いものねだりの気持ちが生じるのは私だけじゃないんだと思う事で少し気が楽になりますね。南無阿弥陀仏というお言葉、実にありがたい念仏なのですね。あまり意識しないで唱えておりました(ごめんなさい)。これからは仏さまと共に歩んでいるんだ、と意識して「南無阿弥陀仏」を唱えてみるようにします。

願誉浄史 さま
いつも分かりやすいご回答ありがとうございます! そうなんですよね、、おっしゃるとおりです。 人を羨ましがるときは勝手に妄想をふくらませて羨ましがるくせに、いざ自分が手に入れると大したものじゃないって思う事、今までもよくあったと思います。これからは無いものねだりが生じたら、「たいしてうまくない旅先の名物」だと思う事にします。それと、パンチのきいたエール、ありがとうございました! なんだか楽しく元気になりました^^  

大慈 さま 
ご丁寧で親身なご回答ありがとうございました。確かに、最近は自分を内に内に追い詰めていたかもしれません。20代30代はキャリアや恋愛、結婚、と充実していて、自信に満ち溢れていた頃もありました。その生活が崩れ喪失感で苦しみ、のたうちまわっているところを仏教に救われたのです。でも自己流だったため、必要以上に悶々と自分と向き合い、かえって苦しんでいたのかもしれません(苦笑)。ですから、こちらのサイトに出会えたことは幸いでした。大慈さまがおっしゃるとおり、欲しい自分を許しながらも「渇愛」は退けるよう、心がけるようにいたします。そして、これからはもう少し目の輝きを取り戻し、外に視野を広げて行きたいです。

「欲望・欲を抑える」問答一覧

密教における欲、怒りについて。

昔、私が学生だった頃、大学でインド哲学を学んだ人から、こう教えられました。「初期仏教では人に属する欲は全て良くないものと全否定されるが、時代が経てだんだんと欲は肯定されていって、仏教の最終段階である密教では「セックスは菩薩の境地だ!」と教えられるのですよ。そうやって密教では性も含めあらゆる欲が全肯定されるに至るのです!」と。 また同時に、弘法大師を信奉するある僧侶の方が「日本人は怒れないないからダメなんだ!」と仰り、その言葉を持って、先の人からは「(人に対して社会に対して)もっと怒れ!怒れ!」と、私は言われ続けました。 私は{密教では怒りの感情も人間に属する<聖なる属性>として肯定されるのか。。}と思い、それからというもの、私は何かと「怒り」を持って親や世間の人たちに接し、それが故に大きな軋轢を家族や人々との間に作ってきました。 今はそのようなことすべてを後悔しています。 私も老齢を迎えつつある今、お釈迦様の言葉や弘法大師の「四恩十善の教え」を知るなかで、実際のところ、密教では「欲」や「怒り」はどのように扱われるのだろうという疑問が頭から離れません。 彼らが言ったように、欲や怒りは密教では「善きもの」なのでしょうか? そのように肯定されるものなのでしょうか。 お釈迦様の教と密教はそれほど違うものなのでしょうか。 どうぞお教下さい。

有り難し有り難し 39
回答数回答 3

新しい刺激を得たい欲求との付き合い方

ストレスが溜まると新しい刺激が欲しくなります。(週1ぐらい) 同じ毎日に嫌気が刺し新しい楽しいことがないかと考えます。 しかし、それのせいで先日夫と喧嘩をしました。 少し前から私はこの人生を鮮やかにするには新しいことを習慣化し自分の特技を作ろうと語学の勉強をしていました。 勉強をしていくうちにペラペラになりたいと思い、なった方々を調べるとネイティブの方と喋るに尽きるとのことでした。 私は留学はできませんしお金もあまりないので、海外の方と交流できるコミュニケーションアプリの利用を考えました。もちろん女性とだけ関わるつもりでした。 しかし、夫は元々SNSを酷く嫌がるタイプの人間なのでやはりダメでした。 自分からすれば刺激のない日々の対策を自ら見つけ、コツコツ頑張って来たので腹が立ちました。何も男の人と関わるとは言ってないからです。 とはいえ、夫がそう言うだろうとはわかっていました。自分は夫の方が大事なのでそこは自分が諦めました。 しかしながら、じゃあその代わりになる物があるかと言うとそうじゃないです。 今まで散歩や、新しい料理、掃除、読書などをやってましたがどれも物足りなかったです。 また何かを見つけない限り自分は生きてるのが苦痛になると思います。 このストレスを得ると新しい刺激を得たい欲求とどう付き合うのが良いのでしょうか。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

「欲」との向き合い方が分かりません。

いつもお世話になっています。 タイトルの通り、欲とどう付き合うべきなのか、より正確には「無欲」とどう対峙すれば良いのか悩んでいます。 私は基本的に、様々な物・事に対する欲や執着が薄い傾向にあります。 物欲はもちろん、金銭や名誉への執着も大してなく、娯楽や趣味も没頭するほど興味の強いものが特にありません。 人間である以上、欲が皆無という事は有り得ませんし、あくまで「欲が薄い」のだろうと自身では思っていますが、実際それを周囲から指摘される事がたびたびあります。 例えば物欲ですが、生活必需品(消耗品)以外の物について「どうしても欲しくて堪らない」と感じる事がほとんどなく、自ら買いに出かけるような事はまずありません。 流行に疎く、新しい物・珍しい物への関心も薄いです。 毎年誕生日にプレゼント交換をする友人がいますが、これと言って欲しい物も思いつかず「じゃあこれ適当に使って」と仕方なく現金でもらった経験さえあります。 しかし、そのお金に関しても「欲しい物、したい事があって貯めている」わけではなく、「使う予定がなく必然的に貯金に回っている」状態です。 他にも、人と会ったり遊んだりする際、行きたい場所、したい事がパッと浮かばず、基本的にプランは相手任せです。 (表現が適切か定かでありませんが) 「意見がないに等しい」ので、仮にどこで何をする事になっても、それを苦に感じたり嫌に思ったりは特にありません。 ですが周りからは「それで本当に楽しめてるの?」と逆に疑われる事があります。 また、私はどちらかと言うと「〜したい」より「〜したくない」という欲が強いです。 自身の経験上(※詳細は過去の質問をご参照願います)、常に思考の根本に「周りを巻き込みたくない」考えがあり、結果的に「相手に合わせる」、より正確には「相手任せ」という展開が大半です。 自分自身に関しても、「今以下にはなりたくない」、強いて肯定形にするなら「せめて現状維持でいたい」です。 欲の無さは同時に自信や向上心の無さだと聞きますが、やはり欲が薄いのは総じて良くないのでしょうか。 欲の薄い自分はまともに自己主張すらできない弱い人間という事なのでしょうか。 欲が薄い事は「恥ずべき」事、「改めるべき」事に当たりますか。そうである場合、それを直していくためにどのような事を心がけていくべきか教えて頂きたいです。

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る