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口の悪さってどれくらい心に影響あるものですか?

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有り難し有り難し 48

激しく罵されたり、罵倒されたり、怒りをぶつけられたリ、ストレス発散で殴られたり。
そういうことをされた人の心はどうなっていくのでしょうか?
またどういう風に生きてってしまうのでしょうか?
また、そういう人は自分に災難が降りかかるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生き方は自分で決めるものです

>どういう風に生きてってしまうのでしょうか?

生き方は自分で決めるものです。
全米史上最大の虐待にあったと言われる「it と呼ばれた子」の著者は、最後には空軍に入って家庭も持ち、虐待された子供たちのケアーをボランティアでしています。

>また、そういう人は自分に災難が降りかかるのでしょうか?

そういう人だからこそ人の痛みがわかるのですから、人の痛みに寄り添う生き方をしていれば、神仏が必ず味方してくれます。

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僕はウイキペディアでは以下のように紹介されています。 「日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、オセアニア、中東、タイ、バングラデシュで活動する指圧師、作家、音楽家。タオサンガ・インターナショナル代表。京都浄土宗和田寺の僧侶。タオ療法、タオ指圧、気心道の創始者。著書は数カ国語に翻訳され世界各地で出版されている。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%97%A4%E5%96%A8%E5%8F%8A が実は、元家出少年です。ティーンエイジャーの頃は、徹底的に自己破壊的な行動を繰り返し、高校も2つ中退しています。現在は、浄土宗和田寺の住職で、一般の人が気軽に修行できる場として、京都と東京に道場を作りました。(道場はその他、世界各地にもあります) なので、修行したい方、人のために涙する方、楽しいことが好きな方はぜひ来て来てください。あなたを歓迎します。 ※毎週、法話を配信しています。書き起こされた法話は、下記でご覧いただくことができます。 http://taosangha.com

被害者・加害者にとって何一つ良いことはありません

虐待を受けて育った子供を見れば分かるのではないでしょうか。人の顔色を窺い、暴力におびえ、心に蓋をしてしまいます。愛情が不足しているので、人に愛情を注ぐことが出来ません。人を信じることが出来なくなり、自分を守るために力で解決しようとしますが、強いものには立ち向かえないので、弱いものに力を向けることがあります。レ・ミゼラブルにあるように、無償の愛を受けることで立ち直ることが出来ます。仏教でいえば慈悲のことです。
悪口を言うことは体にかなりの悪影響を及ぼします。ホルモンのバランスが崩れ、免疫細胞が弱まり、血液が固まりやすくなります。また、言葉による暴力を繰り返して行くと、興奮がおさまりにくくなり、それがエスカレートし大犯罪につながることがあります。
被害者・加害者にとって何一つ良いことはありません。そういう感情に襲われた時は、トイレに行って深呼吸しましょう。怒りが収まります。

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個別相談可能
鳥取市にある浄土真宗のお寺の住職です。36年間のサラリーマン生活を経て2008年より専従住職をしています。金融・保険、ホテル、冠婚葬祭互助会などの勤務経験があります。営業、広告宣伝、総務、経理、ITなどの職種を経験しています。今年73歳になる年男ですが、比較的若い回答僧侶が多い中、老僧としてhasunohaにかかわりたいと思っています。
基本的に午前中はお受け出来ません。午後2時から午後8時に対応させていただきます。お寺ですので、急な法務が入りお約束の時間を変更させていただく場合がありますことをご了解下さい。

聞きたいことは、こうですか?

 「誰が」、とか「誰を」、という言葉が一部省略されているので、私なりの想像で補うと。
「周りから、酷く罵られたりストレス発散の犠牲者として殴られたりばかりして育った人」は、どんな心情となり、どのような人生を送りがちなのでしょうか?
 また、過去そういった傷を持っていると、おのずから災難に遭いやすくなるのでしょうか?

 これは多分、ご自身のことですね。今までの問答からして。
 このような犠牲者たちは、一般に「心を閉ざしていきます」。それは自身を守るためです。そういった刺激をまっとうに受け止めようとすると、自分の存在を守れなくなるから。耳には聞こえるけれど雑音と同じ、殴られて痛いけれど転んだのと同じ(これは自分を下げて理不尽さを解消しようとする反応です)。

 あなたの言う「災難」というのは、「自分が悪い訳でもないのに、嫌な目に遭う」ということだと思いますが、そういう意味では「遭いやすくなる」と思います。心を閉ざすというのは、特定の相手だけでなく、周り全体に対して起きがちなこと。そうすると、悪意なく貴方に関わってくる人に対しても、「悪意ある人」のように扱ってしまい、「嫌なこと」に繋がってしまう。そんな連鎖はあると思いますね。
 ですから、「世の中みんなが、貴方に悪意を持っているのではない。みんなが理不尽に貴方を傷つけてはいない」と、見方…あるいは信じていることを変える必要があります。このhasunohaで貴方が重ねてきた問答は、それに値するものだったと(私から見ると)思います。多分ここにいる坊さんの中で、あなたに悪意を持って回答する人は1人もいませんよ。
 ですから、これからも問い続けるのがよいと思います。今までと同じように。問うて疑って、疑い尽くして、いずれ「もう質問することはありません」になった時には、「心を閉ざした人」からは脱出しているはずですよ。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

ありがとうございました

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