口の悪さってどれくらい心に影響あるものですか?
激しく罵されたり、罵倒されたり、怒りをぶつけられたリ、ストレス発散で殴られたり。
そういうことをされた人の心はどうなっていくのでしょうか?
またどういう風に生きてってしまうのでしょうか?
また、そういう人は自分に災難が降りかかるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生き方は自分で決めるものです
>どういう風に生きてってしまうのでしょうか?
生き方は自分で決めるものです。
全米史上最大の虐待にあったと言われる「it と呼ばれた子」の著者は、最後には空軍に入って家庭も持ち、虐待された子供たちのケアーをボランティアでしています。
>また、そういう人は自分に災難が降りかかるのでしょうか?
そういう人だからこそ人の痛みがわかるのですから、人の痛みに寄り添う生き方をしていれば、神仏が必ず味方してくれます。
被害者・加害者にとって何一つ良いことはありません
虐待を受けて育った子供を見れば分かるのではないでしょうか。人の顔色を窺い、暴力におびえ、心に蓋をしてしまいます。愛情が不足しているので、人に愛情を注ぐことが出来ません。人を信じることが出来なくなり、自分を守るために力で解決しようとしますが、強いものには立ち向かえないので、弱いものに力を向けることがあります。レ・ミゼラブルにあるように、無償の愛を受けることで立ち直ることが出来ます。仏教でいえば慈悲のことです。
悪口を言うことは体にかなりの悪影響を及ぼします。ホルモンのバランスが崩れ、免疫細胞が弱まり、血液が固まりやすくなります。また、言葉による暴力を繰り返して行くと、興奮がおさまりにくくなり、それがエスカレートし大犯罪につながることがあります。
被害者・加害者にとって何一つ良いことはありません。そういう感情に襲われた時は、トイレに行って深呼吸しましょう。怒りが収まります。
聞きたいことは、こうですか?
「誰が」、とか「誰を」、という言葉が一部省略されているので、私なりの想像で補うと。
「周りから、酷く罵られたりストレス発散の犠牲者として殴られたりばかりして育った人」は、どんな心情となり、どのような人生を送りがちなのでしょうか?
また、過去そういった傷を持っていると、おのずから災難に遭いやすくなるのでしょうか?
これは多分、ご自身のことですね。今までの問答からして。
このような犠牲者たちは、一般に「心を閉ざしていきます」。それは自身を守るためです。そういった刺激をまっとうに受け止めようとすると、自分の存在を守れなくなるから。耳には聞こえるけれど雑音と同じ、殴られて痛いけれど転んだのと同じ(これは自分を下げて理不尽さを解消しようとする反応です)。
あなたの言う「災難」というのは、「自分が悪い訳でもないのに、嫌な目に遭う」ということだと思いますが、そういう意味では「遭いやすくなる」と思います。心を閉ざすというのは、特定の相手だけでなく、周り全体に対して起きがちなこと。そうすると、悪意なく貴方に関わってくる人に対しても、「悪意ある人」のように扱ってしまい、「嫌なこと」に繋がってしまう。そんな連鎖はあると思いますね。
ですから、「世の中みんなが、貴方に悪意を持っているのではない。みんなが理不尽に貴方を傷つけてはいない」と、見方…あるいは信じていることを変える必要があります。このhasunohaで貴方が重ねてきた問答は、それに値するものだったと(私から見ると)思います。多分ここにいる坊さんの中で、あなたに悪意を持って回答する人は1人もいませんよ。
ですから、これからも問い続けるのがよいと思います。今までと同じように。問うて疑って、疑い尽くして、いずれ「もう質問することはありません」になった時には、「心を閉ざした人」からは脱出しているはずですよ。
質問者からのお礼
ありがとうございました