なにもかった人生
プロフィール通りの誇張なしに本当に何も持っていない人間で、生来なにかを競ったなどがが心底面倒です。夢を持ったことがないのでその過程である努力もどうすれば努力になるのかなどもわかりません。焦ったこともありませんし、開き直ったこともないです。
良いことまたは華やかな記憶や、他の人がしてきたであろう青春や(大きな失敗や成功を含めた)体験が有りません。
スポーツ選手に限りませんが、生活が充実している人などのインタビューを聞いたりすると、〇歳までに△を……など仔細に決められており実行に移しているようで、自分の能力や可能性を信じ、努力をしているだけで遠い世界の人だなと感じます。
本題ですが、自分の好き嫌いや得手不得手が分からないため仕事を探すのに苦労しています。よしんば見つけたとしても、覚えが悪く、人間関係も上手く築けないことも手伝ってか長続きしません。ちなみに正社員経験は無しで、働くこと自体が怖いです(初めてのバイトの面接で、君みたいな奴の代わりはいくらでも居るから帰っていいよと言われたのが原因だと思います。周囲に相談したら鼻で笑われました。)
気分の浮き沈みが激しく、夜の間にきまぐれに湧いた興味や好奇心で応募するも、翌朝や面接の直前になるとどうせ受からないのになにを応募しているのかと自分を責め、それを理由に断り、逃げてを繰り返しています。
実家住まいで甘えているからだと考え、一人暮らしも選択肢の一つとして思い浮かびましたが、資格も職歴もない自身では家賃だけで精一杯の収入になりそうで二の足を踏んでいます。
夜寝ている間にスーッと死ねないかなと思う日々です。偉人の名言や説法などを聞いて奮起しようとしても、ふーん、程度の感想しか出て来ない状態で自分で自分にお手上げ状態です。
とにかく昼夜逆転を戻すことがスタートラインでしょうが、どうしたら良いかわかりません。
纏まらない文章で申し訳ございません。
あ、最後の一文で思い出しました。身に覚えの無いことで罵詈雑言をは吐かれたりサンドバッグになるのは慣れているので特に苦になりません。一日に二、三回程度までなら根拠なく死ねと言われても問題ありません。こんな私の人生に使い道はありますか。
煩悩が思い浮かばないので↓ 人と接しなくては生きていけないことに対して怒りが湧く。 勉強、実践しても人並みに応対や会話が出来ない、人間としての礎が無いことに対してもむしゃくしゃする。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
変わることができる
人生未設定様
初めまして、釋 慧心と申します。
拝見させて頂きました。
変わることができるなどという、ありがちなことを書いてしまいました。
私を含め、一時も変わらずにいるものはない、まさにその通りの真理であります。
極端に言いますと、1秒前の私と、今の私は別人です。
当たり前ですが、それにも関わらず、私達は、私は私でずっと変わらない。
もしくは変われない、変わるはずがない、と、何故かそんな風に思いがちです。
実際は毎秒、瞬間ごとに変わり続けているのに、固定した自分を作り上げて、そこから自由になれない。
そこから自由になれないということは、その固定した私というのが無いのに、あると勘違いをしている状態。
無いものをあると勘違いしていて、そこが基準になっているということは、最初から基準が合っていないと言えます。
目盛りの間違えた物差しみたいなものでしょうか。
その目盛りは、実は私に損か得か、好きか嫌いか、都合が良いか悪いか、が基準になってしまっています。
私達の苦しいとかもどかしい気持ちは、全てそこから生まれています。
本当の姿とは別にして、私の目盛りに合わない物事や人は、嫌い、苦手、嫌だとなります。
これではまるで目隠しをして、うろうろし、右に行っては壁にぶつかり、そうかと思って左に行っては溝にハマるというような、ほんに明りが無いような状態ですので、これを「無明」というたりします。
これは人格の否定や、一気に直すということではなく、あ、そうなんだと気づかされる慶び、それも仏法の味わいです。
人生未設定様の文面から、ご自身を冷静に見ておられる中で、ご自身に対して過小評価をされておられるように感じます。
嘆かわしいですが、世の中には本当に心無いことを言う人がいたりします。
人生未設定様の出会われた面接官の方の言われたことも、それは人生未設定様の本当の姿ではありませんよ。
さっきの話で言えば、単にその面接先の都合に、合うか合わないか、というだけで見ているから、そういう発言になるのだと思います。
そんな都合のいい人、いつまで経っても見つからないでしょう。
夜の間の少し前向きなお気持ち、一人暮らししてみようというお気持ち、素晴らしいと思います。
少しずつ、そんな繰り返しで一歩じゃなく、半歩くらいでも進めば非常に素晴らしいように思います。
そう思えてしまうことは真実
私もそういう時期ありました。
私はこんな症状でした。
あー、何やってもつまらねー。
うそくせー。
かったりー。
しねばいいのに。
坊さんの話を聞いても
「ぬるい。うそくせぇ。」
ガツンとくるもんが無かったのですね。
人生未設定さんの「それ」って、多分、ホンマモンを求めているのかも、です。
ウソくせぇ二流品、三流品じゃわたしはビビビっと来なかったです。
曹洞宗の修行道場へ行って偉い老師とか禅師様とかに会えば変わるかなーとか思いましたが、まったく駄目でした。
私は大病院の院長より、ブラックジャックを探していたのです。
心底自分の心の奥底にある病巣を治療できるような。
とにかく悟りを真剣に求めましたよ。
色んな坊さんに噛みつきながらもちゃんと本当のことを言ってくれる坊さんを探していました。
どこかにホントにスゲー人いるんじゃないかって。
いました。
探してみてください。
あなたにとってのその人を。
そして、悟りを得たいとか思ってみるとイイです。
本当のことを知りたいって思ってみるとイイです。
自分を納得させるきちんとしたことを言ってくれる人を探してみるとイイです。
難しい言葉ですが、仏教では菩提心といいます。
悟りや真実、安らぎを求める心です。
納得いかないのでしょう。
今まで出会って来た人間たちでは。
もし、あなたがかつての私と同じような様子でしたら、この話のどこかに何か「ん?」とくるものがあるかもしれません。
もし、そうだとしたら、お電話ください。
全面的に協力致します。
まずはやってみること
やる気、気持ち、夢、そんなもんはなくていいでしょ^ ^
世の中では、それがないといけないみたいに言われますが、なくたっていい。やればいいだけ、やらなきゃ分からない。
私が勤めに出始めたのは10年以上前ですが、やる気もなければ夢もなく、生活お金のために始めました。周りを見れば、「昔からの夢で」みたいな人が多くいて、むいてないのではないかと思うこともありました。しかし、続けていくうちに仕事の楽しさも分かりましたし、真剣に向き合うこともできるようになりました。周りからは「あいつ大丈夫か?」的なことを言われていたそうですが、直接言われたわけではないですし、問題なしです^ ^
やる気がなくともそんなもをは後から付いてくるもの。気持ちが乗らなくても、やれば気持ちは後から出てくる。笑顔を作り口角を上げれば楽しくなる。運動不足はまず体を動かし始め、習慣になってくると、今度は運動しなくちゃ気持ち悪いほどになる。
気持ち心優先ではなく、事実、行動優先で生きてみましょう。人の悪口批判は受け流し、アドバイスはありがたくいただく。
まず昼夜逆転しているとのこと。昼間起きて散歩でもしてみて、体を動かしてみてはどうですか^_^
質問者からのお礼
ありがとうございました。さようなら