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この世の不公平と生き辛さを乗り越える方法

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有り難し有り難し 34

幼少の頃よりずっと生き辛さを抱え、人生半ばを過ぎて、もう生きること自体に疲れてしまいました。人と会話ができません。病院や会話教室に行ったりと様々な努力はしてきました。五体満足に生まれたことは本当に感謝すべきですが、人と関われない悩みは酷く辛く、何をしても常に付いて回るものです。

職場では、仕事もできず雑談にも参加できずで数ヵ月で居心地が悪くなり、ストレスから体調を崩し転職を繰り返しています。
会話が続かないため一人の人と長く過ごすのが苦痛で、相手も私に気疲れして体調を崩すことがあるようです。その度に自己嫌悪に陥り、自分は百害あって一利なしの人間のように感じてしまい、深い付き合いの知り合いはおりません。
人生の選択肢として結婚か仕事がありますが、私にはどちらも難しく、この生き辛さが続くと思うともう何もかもが面倒です。人生は修行だとしても、あまりに長く感じます。

多くの人は多少の悩みはありつつも、日々割と楽しく生きているように見えます。
以前は、他人と比較せず、過去の自分より進歩すればそれで良いと思っていました。それが、ちょっとしたきっかけから自分の未熟さが気になりだし、努力しても何一つ他人と同様に出来ない自分への苛立ち、不出来な人間に対する世間の無慈悲さが目につくようになり、世の中全体を敵視する感覚が身についてしまいました。

無差別殺人など不可解な事件が増えていますが、犯罪者が追い詰められてそこに至った経緯を想像すると、気持ちが分かるようで虚しい気分になります。

小さい頃から一つ疑問があります。仮に人間と一緒に楽しく暮らしたいと望むゴキブリがいたとします。始めから人間に嫌な概念を与えるものとして創造された生き物であるなら、その望みは役割と合致しておらず、きっと辛い思いをするでしょう。この場合、どう生きるのが賢明でしょうか。人間を好きであればあるほど、望みを捨て自ら姿をくらますのが正解でしょうか。人間とゴキブリは違いますが定期的にこの疑問が浮かんでくるのです。

生まれつきの生き辛さは前世の行いの報いだと想像すると、今世で魂を磨くことが大切であり、また人生が公平でないことも理解できます。ただ、どうしても感情で割り切ることができず、生きるための道標が見つかりません。

私の考え方の修正等、生きるコツ(理由)をアドバイス頂けますでしょうか。よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分を救うものを求めるのです。

お隣の埼玉県から失礼します。
今日、私は朝起きたら歩けなくなってしまいました。
ずっと、寝たきりです。
そのおかげで久しぶりに回答しています。
楢崎一光というお坊さんは、自分が病院に入院しているのに他の患者さんにお経の勤行とかを勧めて、病気のまま元気のない心でいることを諫められたといいます。
不幸をあげたら人間キリがありません。
日本で不運自慢コンテストを主催すれば私たちはエントリーすらできないかもしれません。
ですが不幸自慢コンテストであれば人間、誰でも優勝はできるのです。
ここで申し上げる、不運とは自分が望まない望ましくない境遇です。
不幸とはどんな境遇であっても、そこでどんどん悪く考える思考です。
思考なのです。
私は朝から不運ですが、凹んでいないのです。
そういう心になってみませんか。
歩けなくても、こうして誰かの支えにだってなれるのですよ。
私はその立証をしています。
かつても死にたいくらい落ち込んで悩んでいた時期だってありました。
当時の私であれば不幸自慢対象で上位3位くらいになっていたと思います。
そのくらい落ちて落ちてどん底をなめると、失うものが無くなりました。
失うと思われていたものが自分のあらかじめの「失ったらイヤだ」という恐怖や不安に過ぎなかったのです。
菩提心を起こしてください。
菩薩の道を歩むべく利他行を修行してみてください。
自分が持っているチカラで誰かが喜ぶようなことをしてあげてみてください。
これは、あなたを救う行為になるからです。
心の中の善玉菌が少ない人は、人を助けてあげることで菩薩の花が咲きます。
私も40代です。
同じ40代でこういう生き方ができるようになれた人間がここにいます。
苦しみを無くせる生き方に関心を持っていただければありがたいです。
真剣に求めるのです。一生のチカラになることでしょう。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

体調を崩されている中、早々にお返事いただき、本当にありがとうございました。
嬉しく読ませていただきました。
寝たきりとのこと、その後回復されましたでしょうか。
すぐにお礼をすべきところ、直後に自分の就職活動のことでひどく落ち込んでしまい、何とお礼を書こうか考えているうちに日々が過ぎ大変申し訳ありません。
(やはり自分中心の行動を直さなければいけませんね。)

不運と不幸の違い、苦しみを無くせる生き方について、やさしくわかりやすい言葉で諭していただき、腑に落ちる感じがいたしました。
難民の問題など、不運な人々をテレビで目にする度、悩みはあっても、私は多くのものを与えられているのだと気づかされます。
不幸を感じるのは、たまたま身近にいる恵まれたように見える人々と比較をするだけの余裕があるからかもしれません。まだ失うものがあるからかもしれません。

自分のことや家族の問題、長年かけて積もったものはすぐにはなくなりませんが、結果を求めず、まずは「利他行」のみを心に置いて日々行動してみようと思います。
いきなり自分を変えることは難しいですが、心の中の善玉菌を増やしていけるように、良い考え方や行いを少しずつ習慣に変えていければと思います。

この先の人生、まだまだ長いですが、自分なりに頑張ってみます。
ありがとうございました。

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