自殺した友人のことで毎晩自問自答しています
数ヶ月前に仲の良かった友人が自殺をしました。原因は愛猫を母親の為に手放さなくてはいけなくなったからです。
母一人子一人で育った彼女。独身で母親の介護を頑張っていました。心の支えが愛猫だったんです。明るくて前向き正義感の強い人で私は大大大好きでした。私が結婚して出産してからも年に4回は会っていました。ところが昨年その猫のことで悩んでいる彼女がいました。母親がやきもちをやいて罵声がひどくなったそうです。時々介護を辞めたいと本人に言ってしまうこと。そして周りには「猫と母親どっちが大事か。母親を見捨てるのか」と言われたので里親に出すべきか悩んでいるとのこと…。でも彼女にとって家に居るときの心の安らぎ。それが愛猫だったんです。私は彼女の幸せを母親の為に犠牲にしてほしくなかったのでどちらを選択しても後悔してほしくないことを伝えました。一緒に泣きいっぱい話をききました。彼女を全面的に肯定しました。
今年に入って母親の精神面が更に悪化、愛猫を里親に出すことを決心し、里親がきまったことを見届けてから命を絶ちました。彼女にとって愛猫は我が子と同然でした。手放すことの苦しさは相当のものだったと。表情は険しい顔で遺影も怒った顔で涙がとまりませんでした
ここで自殺を公言する人って本気で自殺という人はいないと思います。でも自殺した人って誰にもそのことを口にしない気がします。昨年は4回以上あって話をききましたが今年は会っていませんでした。メールのみで亡くなる翌月に会う約束はしていましたが叶いませんでした。
子どもが寝てから毎晩彼女のことを考えてしまいます。私にできることは何もなかったかもしれない。でも何かできたのでは?毎晩考えてしまいます。
施設にお願いして幸せになることはいけないことだったんですか?私は話をきくだけでは間違っていましたか?一緒に泣いて彼女の行動を100%肯定してたこと間違っていましたか?毎晩彼女のことを考えることは間違っていますか?彼女が選択した自殺も否定したくありませんがとめることはできましたでしょうか?私は妹と父を癌で亡くしていますがそのときの感情とはまた別な苦しみがあります。病死の場合時が解決してくれましたが自殺はいまだ自問自答の毎日です。
どうか天国で幸せにそして愛猫と仲良く暮らしていることを願うのみです。会いたい、会いたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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姿形をこえて
大切なご友人のご命終に心から哀悼の意を捧げます。南無阿弥陀仏
彼女の全てを受け入れられたのですね。そして最後の彼女の選択までも否定したくない気持ちをお持ちなのですね。さぞご友人も心強かったこととお察しします。
彼女の全てを認めつつ、ご自身の全ても認めてください。彼女の選択はそれはそれとして尊重しつつ、残された友人としてはやはり辛く寂しく切ないでしょう。やりきれない気持ちもお持ちでしょう。
彼女の選択もモカママさんの選択も正解・不正解ではないのです。モカママさんの彼女に対する
>「どちらを選択しても後悔してほしくないことを伝えました。一緒に泣きいっぱい話をききました。彼女を全面的に肯定しました。」
この姿勢には本当に頭が下がります。大事なことは彼女自身に決断させつつ、どんな決断であっても私は尊重して支えるよという何よりも力強いメッセージになったことでしょう。
それを受け彼女は文字通り命を懸けて選択したのです。ある意味では今生きている誰よりも強く激しく生きることの意味を問うたのです。その結果選び抜いた答えを誰がけなすことができるでしょうか。軽々しく「死にたい」と口にするものとはその求道の激しさは別物でしょう。
(もちろん、軽々しく「死にたい」と口にする人であっても「そう言いたいという気持ち」には寄り添いたいところですが…)
今も毎晩彼女のことをお考えになるように、私たちのいのちはその姿形は消えてもずっと影響を与え続けます。
「花びらは散っても花は散らない。形は滅びても人は死なぬ。」
とは真宗大谷派の僧侶であった金子大栄先生のお言葉です。これは何も神秘的な超常現象の話ではなく、亡き人案ずる私たちが実は亡き人から案ぜられていたという事実に気がつく時、姿形を超えて人は出遇っていけるという教えだと私はいただいております。
これから彼女とともに人生を歩んでください。「会いたい」という願いを胸に刻む限り、ふとした時に彼女の願いに遇う瞬間が訪れることと思います。
「会う」とは約束をしてあうという意、「遇う」とは思いがけずあうという意だそうです。
生前の様に約束をしては会えませんが、ふと「ああ、彼女はこう考えていたんだ、こう願っていたんだ」という形で彼女と遇うことがきっとあります。
南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
吉武様暖かい暖かいコメントを本当に本当にありがとうございました。今涙があふれてあふれてとまりません。何度も何度も読ませていただいています。ただこの涙も今までみたいに悲しくての涙でなく吉武様のコメントで救われた涙です。目の前が明るく、そしてなぜか彼女が「ありがとう」って言葉をかけてくれているかのようです。心に響くお言葉に私自身も自問自答していた悩みも晴れる思いでした。本当に本当にありがとうございます。お忙しい中お言葉をいただき大変感謝しております。正解不正解はないけれどけして自分を否定することはないと思いました。
自問自答して苦しむのではなく一緒に観た映画、一緒に食べて笑った食事、一緒に応援した野球などなど今度は彼女の写真に話しかけたいと思います。彼女も天国から「もう!モカママさんたら~まだ悩んでる~」と笑っているかも。どんな悩みも笑いにかえてくれる明るい彼女でした。小さい頃から親に苦労してきたはずなのに彼女の性格はまっすぐで私もたくさん助けられてきました。またまたまとまりのない文章すみません。心から感謝をしております。