音信不通の叔父の件
父方の叔父のことですが、祖父が、17年前に他界し、その後、いろいろあり、疎遠になっていて、4年前に、父も他界して、叔父とは会えなったのですが、叔母と会って、叔父が、実家の近くのグループホームにいると聞いて、会うかどうか迷っています。会って方がいいのか、会わない方がいいのか、アドバイスお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
決めるのはあなた。でも、いつも仏様がついていて下さいます…
叔父様に会う、会わないをお決めになるのはあなた御自身です。
ただ、今 会っておかないと叔父様にもう生涯お会い出来ない可能性はあるわけですよね…なら、お会いなさったらとは思いますが…何か躊躇される御理由がおありなのでしょうか。
大津秀一氏(医師)は『死ぬときに後悔すること25』という著書の中で「会いたい人に会っておかなかったこと」を後悔の一つに挙げておられますよ。
叔父様にお会いすることで何かが起こる、始まるかも知れません…そのことの善し悪しは別として。
もちろんお会いしなければ、何も起こりません。
でも、人生は善し悪しに付け、何もないよりは何かがあった方が良いと思うのです。少なくともそのことで貴重な経験が出来、人間的に成長出来ます。
始まる前に恐れていては何も出来ません。
あなたの人生は一度限り…叔父様に会おうと思えば会えるという今の状態もいつまで続くわけでもありません。
さあ、どうなさいますか…結論はあなたが出して良いのです。
何があってもあなたから離れない、あなたを見捨てない仏様という存在がいらっしゃることだけは、僧侶としてあなたにしっかりと申し上げたいと思います…。
同じことがありました。
私にも、音信不通というか、行方不明?な叔父がおりました。
同じ町にはいるらしいけど、どこにいるかは誰も知らず。
放蕩の限りをつくし、それがもとで家族からは縁を切られ、姉であった母だけは、来るものは拒まずで、関わっていましたが。
その母も亡くなり、それまでたまに姿を見せていた叔父も、すっかり見えなくなりました。
それがある日。
街頭で修行中に、声をかけられ、顔をあげると、なんとその叔父でした。
昔の堂々とした体格は面影もなく、すっかり痩せていまい、杖をついて立っていました。
子供の頃には可愛がってくれた叔父ですから、その晩、食事でもしようということになり、久しぶりに会いました。
長期の不摂生の為、右耳が聞こえず、カウンターの席で、叔父の左側に座って話を聞いていました。
事業に失敗し、何とか乗り越えようとすればするほどうまくいかず、死んで詫びようとしたけれど死にきれず、夜眠れなくて深酒をして、体はボロボロになっていったと、話してくれました。
迷惑をかけられた家族は、当然腹もたつし、自業自得だと言われても当たり前ですが、この叔父にも人生があり、色々な思いを味わってきたことも事実だと感じました。
それからすぐ、叔父が入院することになり、お見舞いに何度か行きました。
横になっていることが多くて、行ってもすぐに帰ることもありましたが、ある時、叔父が起きていて、喉が乾いたのでジュースを買ってきてくれ、と頼まれて、叔父がそのジュースを飲む間、話をしていました。
昔は、勢いよく飲めたのに、今は少しずつしか飲めなくなった…。そんな話をしていて、次の日にこちらは遠出をすることだったので、帰ってきたら、また来るよと声をかけると、お小遣いをくれようとするので、帰ってからもらいます😊、と言って、別れました。
それが、叔父との最後でした。(実話です。)
袖すり合うも多生の縁
ひととき同じ時間を生きている私たちです。
かかわり合うことで感じたことが、よくも悪くもあったことでしょう
今回、お会いすることで
自分が想像していた現実を越えた真実に出会うことが出来るかもしれませんね。
いずれにしても、お互いによかった❗ と思えるような結果になることを、お祈りしております。
質問者からのお礼
ありがとうございました。会えるうちに会おうと思います。
やはり、一度現実を見る意味で、会おうと思います。後悔したくないので。ありがとうございました。