愛犬の死を乗り越えたい
よろしくおねがいします。
誤食で病院に連れていったところ、全身麻酔で内視鏡を使うしかないと言われ、軽い気持ちでお願いしました。
が、数時間後には麻酔から覚めることなく死んでしまいました。
病院の説明では、原因はわからないが心臓が弱かったのかも、だけでした。
死んでしまったのは運命だから仕方し、獣医さんもよかれと処置した結果だし、生き返る事はないので受け入れないといけないのはわかっています。
しかし人的ミスの可能性は言わない、麻酔リスク説明なし、こんな事は今までなかった等、言い訳ばかりで、謝罪のことばも口先だけのように思ってしまいます。
麻酔のミスとは決して言いませんでしたが、私はそれとしか思えません。
動揺していてうまくこちらの気持ちを話せなかった事に後悔し、10万近くの請求を払いなんで払ってしまったのかと。
火葬に数万円かかり、エサやペットシーツ等をちょうと大量に買い足したばかりでこちらも数万円の出費があり、お金に関して損したという卑しい自分もいます。
納得できない病院の対応、死んでしまった事実、訴えて世間に言いふらしたい本心、許さなくてはという建前の間でどう心に折り合いをつけたら良いのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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大悲~悲しむべきことを悲しめない悲しみに包まれて
突然の愛犬とのお別れに色んな事も重なり心も落ち着かないことでしょう。まずは愛犬のご命終に哀悼の意を表します。南無阿弥陀仏
さて、ミスを疑っているとのことですがそれはどうかわかりません。そこを争うならば本当に訴えるしかないでしょう。きちんとした謝罪がないのも謝罪をすると非を認めることになり、こんな時代ですからそれこそ裁判も警戒してそのような対応になっているかもしれませんがそれはわかりません。おそらくですが体の大きさ等で麻酔の量や強さも基準があるのでしょう。病院としてはそれは守ったのであとは愛犬の体力次第という主張なのかもしれません。
しかし、ひとつのいのちの終わりに関わったものとして謝罪なり悲しみなりあずきさんの心に寄り添う対応が望まれるところではあったと思います。それが感じられなかったのは残念なことだと私も思います。
ですが今一番の問題はあずき様がどう思うかというよりも愛犬の死です。愛犬はどう感じたのかということです。それも今となってはわからないことではありますが、飼い主としてそこに一番思いを馳せたいところではないでしょうか。
ミスの有無や対応について争ってほしいと愛犬は考えたでしょうか。どうでしょうねえ。そこはあずきさんが一番よくお分かりのことと思います。
気にされているお金についてですがお金は大事です。しかし手術が失敗しようが成功しようがお金はかかります。色々購入したことも正直手痛い出費ではあるのでしょう。
こんな時にお金のことを考えてしまうような人間のあり様を教えてくれるのもいのちの終わりを通して愛犬からいただいた説法です。
怒りや争いの心を優先するのか、死を悼む時間を大事にするのか、愛犬に思いを馳せて選択してください。
人間には悲しむべきことを悲しめない悲しみがあると教えてくれるのが仏様です。そんな私たちを悲しむのが大悲(だいひ)と呼ばれる仏様のお慈悲です。
どんな選択をしても仏様の大悲の中に私たちはあります。その中を愛犬とどう過ごしたいか、大事な愛犬の死にどう向き合っていきたいのか、あずきさんの選択が問われています。
南無阿弥陀仏
手を合わせて供養する
あずきさん、はじめまして。質問を拝読いたしました。
あずきさんの愛犬は、誤食で動物病院に連れていったところ、獣医に全身麻酔で内視鏡を使って治療することになりましたが、数時間後にあずきさんの愛犬は麻酔から覚めることなく死んでしまったのですね。担当した獣医は人的ミスの可能性は言わず麻酔リスク説明もなかったのですね。あずきさんは愛犬の死に動揺して自らの気持ちを話すことができず、10万円近くの請求を払ったことに後悔しているのですね。また、その他費用がかかることがあり、お金に関して損したという卑しい自分もいるのですね。
あずきさんの愛犬は亡くなりました。あずきさんは愛犬が亡くなったという事実に対して納得がいかないように感じます。
あずきさんには、病院の対応に納得できない怒り、獣医の対応が悪かったことを訴えて世間に言いふらしたい本心(愚痴)、お金に関して損したという卑しい自分(貪り)があります。
仏教では、怒りと愚痴、貪りは人間が吐き出す3つの毒であると説きます。
あずきさんが怒りと愚痴、貪りの3つの毒を吐き続ける限り、愛犬の死は報われません。
3つの毒を吐くよりも、愛犬が亡くなったという事実に目を向けてただひたすら手を合わせ供養していくことが大事だと思います。
あずきさんが三毒を離れて愛犬の供養ができるよう祈念しております。