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男性が嫌いになってきた…

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私は高校、今通う大学ともに女子校です。なので男性と関わる機会もあまりなく段々男性が嫌いになってきました。

私には兄が2人いるのですが、年が離れているためほとんど会話もありませんし、兄や父の場合は家族というカテゴリーなので不快感はありません。

しかし以前勤めていたバイト先では、教えてくださる先輩はいつも同世代の男性でした。近距離で教えてもらったりたまに世間話することがありましたが、それが不快(ウザい)でイライラしました。怖いという感覚はありません。なので恐怖症ではないと思っています。

自分でもなぜ男性(特に同世代)に不快感を感じてるのかもよくわかりません。
中学の時に一度だけ交際したことはあるのですが、私が拒否していたせいで遊びに行ったこととかはありませんでした。他の男子たちともそこまで仲良くなることはありませんでした。
そしてここ数年女子ばかりの環境で、女子だけの居心地の良さや楽しさを覚えてしまったせいで男性に対する免疫がなくなってしまったのかもしれません。

こういう状態なので結婚やお付き合いにも興味がありませんでした。ですが、最近新婚さんとお知り合いになる機会があり、とても幸せそうで結婚も人によってはとてもいいものなんだなと感じました。(新婚さんだからかもしれませんが(^_^;))

今後生きていく上で男性のいない社会なんてないし、結婚してもいいかも?という風にも考え始めました。

なので男性に対する不快感をなくしたいです。これのせいで次のバイト探しにも苦戦しています(T_T)どうにか直したいのですがどうしたら直りますか?

わかりにくい文章ですみませんm(_ _)m


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

不邪淫戒 男女の隔ての見を持たない

仏教では、不邪淫戒という戒めがあります。
これは男女のヨコシマな関係を持っちゃいかんという意味ばかりではなく、
男女の隔ての見解を強く持ってはいけない、
男女の差別を持ってはいけない、
性別を超える、
男女の境界線意識を強く持ちすぎてはいけないという意味です。
認識、分別によって、男女を隔てることで、意識の中でより一層、距離ができる。
自分の命が男性女性の両方を縁として生まれてきたのにもかかわらず、観念的にキライという事が生まれてくるのです。
今までは平気だったはずです。
今は年頃で特に嫌悪感や違和感を感じるものです。
仮に一生、男性嫌いであっても大丈夫です。
同じ感覚の人と一緒になればよいのですから。
誰もが天地に一箇の存在です。あなたはあなたで良いのです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

感覚はそのままで、まずはご理解下さい。

 好感触、とか不快感というのは、考えで止められる物ではないと思いますが、「せめてできる事は?」と考えてみました。因みに私は結婚15年くらい、娘思春期、職場女性ばっか(兼職している仕事です)という環境です。
 まずは、ちと学んでみてください、「男と女の違い」みたいなのを。たくさん本が出ていますから予習。というか免疫付けの下地として。おすすめは黒川伊保子さんなんですが、女性寄りであること・息子溺愛なので、ちと辛いかも。まぁ同様のものは沢山ありますので、「女性専用」の本棚よりも、「脳科学」の方がいいと思います。必ず「男女のすれ違いはこうして起こる!」みたいな章があるはずですので、そこは暗記する位に読み込んでください。
 それで視点を得たら、実践です。いろんな男子・男性を観察してみてください。「なんで男って!」と言いたくなる場面があったら、本で学んだ理論が正しいかを検証。まずは理科の観察気分で。
 その方法の何が良いか?といえば理解しやすくなるのです、行動を。「ああ、こういうことか」という文脈が見えるようになると、自分も感情にいちいち振り回されにくくなります。相手の発言とか態度の理由が見えやすくなるのですから、そこを汲み取って対応すると、きっといい関係が築きやすくなります。
 女同士のような、「何も言わずとも分かる!」ではありませんし、正直めんどいとは思いますが、人の命は無限ではありませんから、ぜひトライしてみることをお勧めします。
 結婚については…「人によってはいいものだ」は恐らく正しいです。「新婚さんだから」は恐らく間違いです。ただ、あなたが現在、どんなステータスにいるのか分かりませんが、いずれにせよ簡単なことではありませんよ。
 あと、ジェーン・スーの『私たちがプロポーズ…』、テレビにもなりましたが、原作本お勧めです。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

違いがあるから性別の意味がある

自分と違う個性の他人と付き合うのは、疲れます。
でも、社会生活というのがそもそもそういうものでしょう。
慣れていないことは疲れます。慣れれば楽になることもあります。
あまり心配しないで、社会の荒波で鍛えてもらってください。

生物に雄と雌があるメリットは、それぞれに別々の環境で育んだ長所を持ち寄って、より強い子孫を生むことでしょう。
ですから、男女で違う点があることがヒトにとってはメリット。
しかし、個人個人の社会生活においては、違いがストレスになりますから苦しいですよね。
明るく苦しんでください。
(こういう回答自体に、男って嫌だ、もっと女性の感情に寄り添って欲しい、とか思われるかもしれませんが。)
余談ですが、男って、食欲や性欲、スポーツなど、肉体的な悦びを感じるのが好きな傾向がありますよね。(もちろん個人差あり。)
だから、女性から見たら子供っぽいというか、単純バカっぽい男も多いと思います。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

尊敬できる方にめぐりあえますように

少なからず、多くの女性は男性を嫌う時期があるみたいです。
10代特に中高生の時には、自我というものが育ち、確立していく時期でしょう。ご自分の考えを持ち始めると、理解できない相手、特に男性に対し嫌悪感を持ちやすいのかもしれません。人によって個人差はもちろんありますが、その時期を過ぎると、多くの方は、女性は男性を男性は女性を求め始めます。自分にないものをお互い求めるのでしょう。

りんさんも、尊敬できる人に出会えば、いいなあ。と思えるのではないでしょうか。これからたくさんの男性と接触する中で、先入観なく、その人その人をそのまま見てください。男性とか言うレッテルもはらずに、一人一人をそのまま。きっといい人がいると思います。決め付けは、本当にその人を見えなくさせます。考えを置いておいて、素直に見てください。男女問わず、嫌悪感なんてなくなります。

お互いに高め合い、尊敬しあえる人に出会えるといいですね。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ