劣等感の正体
また、質問させてください。
前の質問について、自分でも考えていました。
そしたら、わかってきたのです、自分の劣等感の正体が。
子供の頃から、親は私にあまり関心を持っていませんでした。
なにか夢を持っても、「アンタにできるわけないじゃん」と言われて押さえつけられてきました。
買い物に行ってもひとり迷子になり、なんとかして車に戻って
「ここで待っていれば置いてけぼりにはされないはずだ・・・」とひたすら親を待っていたこともあります。
なにか習いごとをしたい、スポーツをやりたいと思い、親に応援してもらって、ほめられて育った、そういう人たちがうらやましくてしかたありません。
楽器ができる、水泳が得意、という人に会うと、
「ああ、この人は、親に愛されて育ったんだな・・・」と猛烈にうらやましくなり、強い強い劣等感を感じます。
そういう人には明るく楽しく前向きな人が多く、ワタシはつい卑屈になってしまうのです、そういう自分にまた自己嫌悪を感じます。
家の中で買われているきれいなネコを、毛並みがぼさぼさの野良猫が
ガラス越しに眺めているような・・・。
苦しいです。楽に生きていきたいのです。
どうすれば明るく前向きな人になれますか??
よろしくお願いいたします。
欲望と執着
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人に長所も短所もない。ただ特徴があるのみ。
前回の質問、回答、そしてそれに対する応答。
すべて読ませていただきました。
私は自身のお話の中で「人には長所なんてものありません」なんてよく言います。
すると、と色んな人から
「何を言ってるんだ?」
という目で見られます。
人には特徴(個性)があるのみで、それをいいところと感じるか悪いところと感じるかはまさしく自らの心が決めるところであります。
かくいう私も、自分に対して飛んで来る声を拾えば、
”元気で賑やか”と評する声もあれば、
”うるさい”と評する声もあります。
”ノリが悪い”のか、”落ち着いている”のか
”老けている”のか、”大人びている”のか
”優柔不断”なのか、”優しい”のか
微妙に違うようで、最後は心の好き嫌いに任せてフィルターを掛けているんですね。
SoftBank孫正義社長が自らの髪の生え際が少々下がっていることに対し、
「生え際が後退しているのではない、私が前進しているのだ」と述べたそうです。
ここまでポジティブになるのは難しいでしょうが、
まず、劣等感とは
”自分を嫌っている自分自身の意志である”
と分かるところまでくれば、半分は解決です。
飼い猫にネズミは狩れません。
飼い猫は路地裏で水を飲むと腹を壊します。
辛い思いをした野良猫にしか、分からない経験があるのです。
しかし、
『自らを愛す』
とは言うことは易し行うは難しの典型とも言えます。
なぜなら、人は人を愛するのに根拠を求めてしまうからです。
自分の子だから、自分の親だから、恋人だから、友達だから
性格や相性が合うから、容姿がいいから、お金があるから、一緒にいて楽しいから
今日、自分のことを嫌いの人が、
明日、自分を愛するには根拠が足りない。
だから、”イイコト”をしましょう。
いきなり人に席を譲ることが難しければ、私は「10円募金」をおすすめしています。
自分を嫌っている人がイイコトをすると、自分で(これは偽善なんじゃないか)なんて思ってしまいます。
でも、偽善だろうがなんだろうが、募金したら10円分誰かが助かるのです。
それは間違いなく”イイコト”で、それを繰り返す人は間違いなく”イイヒト”です。
人は誰しも、”イイヒト”が好きです。
”イイヒト”の自分なら、きっと貴方も愛せるでしょう。