妬み
近頃、他者を羨んだり妬む気持ちが消えず苦しんでいます。
自身も衣食住に困らず暮らせているのに、他者に有り自身に無いものを受け入れられません。
もちろん、他者にも良いことばかりではなく苦悩もあるだろうとわかっています。
歳を重ねたせいなのか、自分の心が年々汚れています。
これ以上、汚れてしまう前に消えてしまいたい気持ちです。
この気持ちから逃れるには、どうしたら良いのでしょうか。
毎日、希死念慮にとらわれて苦しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
少欲知足とはなにか
自分が持っているものを数えることです。
自分が持っていないものを数えることを嫉妬と言います。
何を持っているのか。
何も持っていないわけがない。
すくなくとも、記憶と経験と、体を持っている。
言葉が喋れる。ものを考えられる。
生きていられる。
そして、欲も持っています。
欲は人生のガソリンです。不純物があっては燃えにくい。
欲を燃やすとモチベーションになります。
自分の心の中に入り、スッキリと欲の周りを整理してください。
貴方は自分で何に羨んでいるかがつかめていない。漠然と嫉妬しています。
しかし、ちゃんと相手の何に嫉妬しているかを自分でつかめた時、解決法は自ずと見えるのです。
そのような自分だから
拝読させて頂きました。
人と比べてしまい劣等感を感じることは人として起きる自然な気持ちです。
それはあなただけではないですし、あなたもそのことはご理解なさっておられるのです。
自分にも苦しみがあり他者にも悩み苦しみがある、そうおわかりなさっておられても苛まれてしまう自分がいるのです。
そのような思いにとらわれてしまう自分がいることもお悩みの種だとは思います。
ただやはり自分はそのような愚かな存在であると理解して受け入れることでまた生き方や人生も変わって来るのではないでしょうか。
己の存在は例えその生命が全うされても存在します。様々なつながりの中で存在するのです。
ですからなかったことにはできないのです。
消えてなくなりたいと思う気持ちもあるでしょうが、そう簡単には自分の存在は消えません。
今まで生きてきた経緯があり人とのつながりもあります。
ですから少しずつそのような自分であるということを受け入れていくことで変わっていかれると思います。
仏様はそのような私達やすべての存在を受け入れてくださいます。
あなたのお心が素直なお気持ちでご自分を受け入れ、周りの存在を受け入れていかれて、心から清らかに健やかに生きて頂きます様心からお祈りさせて頂きます。