愛犬を死なせてしまいました
愛犬を熱中症で死なせてしまいました。
もうすぐ15歳を迎えるはずでした。白内障を患い、耳も遠くなり、足腰も弱くなりましたが、病気ひとつせず、穏やかに過ごしていました。
寝顔を見ては、この子が幸せでありますようにと願い、悔いのない最期を迎えさせてあげれるようにと思っていました。
夜、突然声をあげ、倒れ込んでしまいました。急いで病院に行き、1時間ほど治療をしていただきましたが、その後家に連れて帰り、間もなく息を引き取りました。倒れる1時間前には、いつもの様に私の手からご飯を食べ、水を飲みおやつを食べ、抱っこして庭に連れて行き、トイレも自分でしました。あまりに突然の事で、死を受け入れられず涙も出ませんでした。
一日置き、火葬葬儀を済ませてからも心はもやもやのままでした。
しばらく経って亡くなる数日前からのことを思い出してみました。前日、日が差す所で寝ていたこと、尿がいつもより黄色?なんかハアハアしてる?そう思うことがあった事。いくかのサインがあったのに、その全てをスル―していたのです。
日が差せば暑いなんて当たり前のことも、なぜ考え及ばなかったのか。些細なことでも気になって、いつもはすぐに病院へ連れて行っていたのに、
肝心な時にそれをしなかった事、何で何でとあの日の自分を責めています。
以前獣医さんに、「この子は穏やかな幸せな顔をしていますね。何匹も見てると愛されてる子がわかりますよ」と言っていただきました。お世辞かも知れませんが、私はこの子を愛し、大切にしていますと自負していました。それなのに、一番あってはならない最期を迎えさせてしまって、申し訳なくて悔やんでも悔やみきれません。
わたしのせいで尊い愛する命を奪ってしまい、苦しくてたまりません。この苦しみこそが罰だとはわかっていますが。あんなに愛しいあの子のことも、後悔と自分への怒りの感情に支配され、想い出す事が出来なくなりました。
こんな私に溢れる愛情と幸せをくれたのに、そして私も慈しみたくさんの愛情をかけたはずなのに。
私は最後の最後に、あの子の手を放してしまったような気がします。
これからどうすればいいのでしょうか?愛犬の事を想いたいですが、こんな事して、想い出を語っていいものでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
愛犬はなんて幸せなんでしょう・・・。
もうすぐ15歳・・・老犬だったと思います。獣医師さんが、「この子は穏やかな幸せな顔をしていますね。何匹も見てると愛されてる子がわかりますよ」と言っていたのは、お世辞ではないと思います。小生もあなたのコメントを読んで、「十分愛されていた」と感じました。
仏教では❝愛別離苦(あいべつりく)=どんなに愛していても、いつかは別れなければならない苦しみ❞を説きます。厳しい様ですが、愛犬と別れる時期が来ていたのだと思います。
けれども、ご安心下さい。また、極楽浄土で会う事が出来ます。あなたもいつかは死んでいかなければなりません。その時、キット愛犬がしっぽを振りながら迎えに来てくれますよ・・・(笑)。それまで、辛くて寂しいかもしれませんが、辛抱して下さい。
仏教では辛い事に耐え忍んでこの世を歩んでいくことを❝忍辱行(にんにくぎょう)❞と申します。愛犬がいつも見守ってくれている、と信じて、前向きに歩んで下さい。合掌 南旡阿弥陀仏
どうぞ語ってあげてください
拝読させて頂きました。その子が仏様のお導きを受けて仏様のもとでこらから安らかになられます様心より仏様にお祈り申し上げます。
南無阿弥陀仏
読ませて頂いてその子は本当に幸せな一生を遂げられたのだと感じました。
その子はこれからもあなたと共にあります。
あなたをいつも片時も忘れることなく見守り続けてくださることでしょう。
あなたとその子のご縁は永遠に続いて参りますからね。
どうか合間合間にその子を思い出し心を込めてご供養なさってくださいね。
あなたがそう思うお気持ちは必ずやその子に届いていきます。
そしてあなたがその生命を全うなさったあかつきには必ず仏様のお導きをお受けなさり仏様のもとでその子に再会を果たして喜びを分かち合うことでしょう。
それまではその子に心から語り掛けてご供養なさってくださいね。
あなたとその子のかけがえのなき日々ですからどうぞ語って下さいね。
あなたがその子を思いながらこれからも心清く健やかに生きて頂きます様心よりお祈り申し上げます。
質問者からのお礼
常福寺 大塚ご住職様
温かいお言葉ありがとうございます。
愛犬はなんて幸せなんでしょう
その言葉を目にした途端、涙が溢れ止まらなくなりました。私の過失で愛犬が亡くなったのに、そう言って下さるなんて申し訳ない程有り難いです。
別れる時期が来ていたのでしょうか。
そう思うと少し気が楽になります。
でも時間が経つと、自分を責め、後悔で苦しくなるかも知れません。
その時は、大塚ご住職様のお言葉を何度も読み返えさせていただきます。
この際、仏教について勉強してみようかと思います。
一向寺 kousyo Kuuyo Azuma様
愛犬のためにお祈り下さりありがとうございます。
私は、姿形が消えってしまった愛犬との別れがとてもつらいです。
でも見えないだけで、愛犬とはずっと繋がっていられるのですね。目に見える世界だけが全てではないのですね。そういう世界があることを、教えていただきありがとうございます。
まだまだ気持ちが不安定で、後悔と懺悔の気持ちで胸が苦しくなることがあるかもしれませんが、いつか会えるその時を楽しみにして、一歩づつ前に進んでいこうと思います。
愛犬にこれからは、ごめんねばかりでなく、一緒に過ごした色んな思い出と感謝を語りかけたいとおもいます。
ありがとうございました。