なぜ、蓮の葉なのですか?
いつもありがとうございます。
私は休日に、隣県のお寺に行くのが好きです。
いつも一人でいるのですが、お寺に行くと、寂しさが薄れて少し気持ちが落ち着く気がするのです。
先日訪れた際に、蓮の花が開いていることに気が付き、嬉しくなりました。
ただ、一番大きく綺麗に咲いているであろう花が、葉っぱの影に隠れていてよく見えませんでした。
葉っぱで見えない…と残念に思っているとき、ふと、このサイトの名前ことを思い出しました。
前置きが長くなってしまいました。
なぜ、ハスノハナではなく、ハスノハなのですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悩みを抱える人と僧侶の集う場として命名しました。
カヨさま
初めまして。hasunoha共同代表の井上広法と申します。
ハスノハナではなくハスノハな理由、気になりますよね。
命名当初の想いを呼び起こすと、それは悩む人々と僧侶の間の場をつくりたかったということに尽きます。
となると、ハスノハナでは少し「上から」な気がしてしまいます。
かといって、ハスノネでもなんだかなぁという感じです。
そこで、ちょうどその中間の存在である「蓮の葉」を採用しました。
さらに蓮の葉には「不染」という意味もあるそうです。
泥水がついても、蓮の葉はすぐに弾いてしまいます。つまり、蓮の葉は汚れることができないのです。
どんな苦しみや悲しみにも染まらない蓮の葉のような強さと逞しさを表した場が、このhasunohaであればと願っています。
いのうえ 九拝
なぜでしょうねえ?私は好きですが
蓮は清流の中でなく泥水の中においてその美しい花を咲かせることから仏教においては智慧や慈悲の象徴とされています。経典にも蓮の花が出てきます。
ここは人々が悩み苦しみを寄せるところ。
思い通りにいかず、まるで泥の中をもがくような毎日であっても、ここでの相談や他者の悩みの閲覧を通してまずは日々を生き抜く力を得て欲しい。
蓮のように泥の中に根を張り、葉を茂らせて常に降り注ぐ日光をいっぱいに葉で浴びて。
お日様が仏法、葉は仏法で目覚めさせられた私たちの願いでしょうか。ここは仏法によって目覚める場。だからハスノハ。
でもやっぱり花がいい?それは願いに目覚めたあなたの生活の中で咲かせてください。綺麗な花を。
※上記は私の想像で書いています。実際の発足の思いと違ったらごめんなさい。
応病与薬?
…なんで?う〜ん、なんで?前に運営者さんのブログか何かで読んだ気がするので探してみましたが、見つけられませんでした。苦しむ人々の受け皿になりたい的な感じだったような気のせいなような…
ですがググってるうちにこんなことを知りました。蓮の葉は漢方薬!へぇ〜へぇ〜へぇ〜!3へぇ。蓮の葉茶なんてのもあって、楊貴妃も愛飲したダイエット健康茶だそうです。
さて、もし機会があれば棒でつついて蓮の葉を水に沈め、ユラユラしてみて下さい。錦色に輝きます。
質問者からのお礼
吉武文法様
お言葉をありがとうございます。
私も、蓮の花が好きです。もちろん、葉っぱも含めてです。
確かに仏教といえば、蓮の花のイメージです。
泥の中にあっても綺麗に花を咲かせて見せるというのは、悪いものには決して染まらないことに似ていますね。
蓮の生き方を、私も見習いたいです。
大慈様
お言葉をありがとうございます。
蓮の葉が漢方薬になるのですか!5へぇ。
貴重な情報を頂いたので、今週末の予定が蓮の茶探しに決まりました。
錦色に輝く蓮の葉が是非見たいのですが、私の通うお寺では、橋の下に咲いているので難しいですね…手が届かないです。
もっと傍で見られる場所を探してみます。
井上広法様
お言葉をありがとうございます。
命名された方にお答え頂けるとは思いませんでした。
蓮の葉にはそんな意味があったのですね。
思い返してみると、汚れた葉っぱが見当たらなかった気がします。
花が葉っぱに隠れて見えなかったのは、悪いものから花を守るため…考えすぎですか?
でも、綺麗な花を咲かせられるように、導いてくれる存在なのですよね。
そう考えると、蓮の葉はハスノハのお坊さんたちに似ていますね。