母親の死
8年も前に病死した母親の死を受け止めきれません。
ガンで余命宣告を受けてから1年半で亡くなりました。2人暮らしで、私は当時19歳です。
亡くなったあたりの記憶は曖昧で、家で1人で泣いていましたが仕事にも滞りなく行っていたことしか覚えていません。
母親の夢を見ますが、夢は亡くなった直後に比べると、年々頻度が低くなっています。
内容は基本的に、母がいて、私は「もうすぐ死んでしまうから、孝行しないと」と焦っている夢です。もしくは「もうすぐ死んでしまうのかー」と思っている夢です。
すぐに目が覚めて、もう何年も前に死んでいるんだ、と気付いてたまらなく絶望します。
そして、成仏しないでとも思います。
親不孝な考えと思いますが、そばにいて私がこれほど泣いている姿を見ていて、それほど母が大切だったとわかって欲しいと思うのです。
世の中の人すべてが経験するものとわかっていますし、どうにもならないと理解していますが、いまだに遺影を飾ることができません。見ると千切れそうになるので。
時折くる絶望と折り合いがつく日はやってきますか?
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたのそばに、お母さんも、私もいるよ。
そぅ。。。大切な人の死は、何年経っても、思い出すと苦しいね。それは、きっと、一生 苦しい。 人間の根本的な苦しみだから。「生」生きるってことも、苦しいものなんだよね。生き続けることは、誰かとの別れを繰り返すことだから。この世は、諸行無常。移り変わっていき、一瞬も留まることができないんだ。だから、思い出すと苦しい。
でもね、そんな世だけれど、絶望だけではないんだよ。そんな私を放っておけないと、願ってくださる仏教の世界があるから。
その世界を信じている人には、この世での辛さや苦しみ、悲しみも、ちゃんと支えてくださる。支えられて生きていける。
ちょっと、難しい話だけどね。
何年も経っていくと、亡き人の話を一緒に出来る人は、少なくなっていくね。でもね、ちゃんと思い出して、話せるって大事なことなんだよ。死の話をすることは、ちゃんと生きるために必要なことなの。
苦しくなったら、近いから、おいで。
一緒に、お母さんの話をしよう。
あなたが今でも、お母さんを大事に想っていること、私も聞きたい。一緒に涙しよう。お寺は、泣ける場所なんだから。宗旨は問いません。信仰を押し付けたりもしません。ただ、あなたの どうにもならない気持ち、一緒に受け止めるよ。メールでも構いませんよ。
悲しいときに、苦しいときに、我慢しなくていい場所が、ちゃんとあるということ、忘れないでね。あなたのそばに、お母さんも、私もいるよ。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。
◆個別電話ってドキドキして勇気のいることだけれど、声が届くから、聞こえてくるから、ちゃんと繋がっているようで、そばにいるように安心出来ることもあります。
◆ 終末期ターミナルケア、看取り、希死念慮、自死、グリーフケア、トラウマ、PTSD、子育て、産前産後うつ、不妊、傾聴、手話、要約筆記者 としても、サポート
◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。
(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )