家を追い出され身寄りのな方のお墓
はじめまして。私は岩手県の者です。
私の祖父の姉ですが、青森に嫁ぎました。(現在80歳代です。)そして姉の息子がもらったお嫁さんがお金の亡者のような人で姉は何十年も前からいじめられ、年老いてから年金をとられて家を追い出されました。
今はどこにも行くところがないのでここにおいてくれと私の家にきたり、じぶんの娘の家で生活しています。
この娘さんも理解のない人で自分の思い通りにならないと怒りだすような人です。私たち家族も何も言えません。家は農家でいつも親が家にいませんでした。特に夏は本当に忙しいです。そんなことお構いなしに自分の都合で姉を家に置いていきます。話も通じません。娘さんも年金を取り上げています。ご飯も与えていないそうです
迷惑だから老人ホームにいれてほしいと姉は言うのですがお金を出したくないのか、了承せず、家に預けっきりです。
姉はいつもたらい回しにされ肩身の狭い思いをしている人でした。穏やかで教師のようにハキハキして上品な人だとよく言われます。そして若い頃医者にこの人はしっかりした人だから絶対痴呆にはならないと言われました。しかし現在はいじめが原因で苦労し、アルツハイマーで薬を飲んでいます。わたしにも穏やかで優しい姉でしたが、今は私のことや思い出も覚えていません。私は今は27ですが高校の頃から姉が可哀想でいたたまれず家族とすむ家が自分は幸せだと思っていました。私の父がお寺に行く機会があり、お坊さんにバチと言うものはないのかと訪ねるとないと言われたそうです。昔から姉のことをおもうと涙が出ます。
長々とすみません。まとまりがなくわかりづらい文章ですね(汗)
それで姉は嫁いだことで家とは別の名字です。姉はまだ健在ですが、もう八十才代です。
誰も身寄りのない方は家の墓にいれても大丈夫なのでしょうか?教えて頂きたいです。
ご回答お願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他者を思いやる気持ちは尊いけど、事態は単純では無い
あなたのお祖父様の姉ですから、大伯母にあたる方ですね。質問から、神美さんの思いやりにある気持ちが伝わって来ますね。また、大伯母さんの境遇にも同情を禁じ得ません。
大伯母さんが全く身寄りのない立場の方であれば、問題は簡単です。神美さんの御家族が皆同意し、神美さんの菩提寺に戒名を付けていただき葬儀を行っていただけば、神美さんのところの墓所に大伯母さんを埋葬することは可能だと思います。
でも実情は、そんなシンプルなものじゃないですよね。大伯母さんは他家に嫁ぎ、結婚し、子供を産んでますよね。嫁に尻を敷かれているようですが、息子さんが居ますよね。一般論で言えば、大伯母さんがお亡くなりになった場合は、大伯母さんの息子が喪主となり、嫁ぎ先のお墓に入るのが自然だと思います。
これらの点については、民法の根拠条文をよく確認し、大伯母さんの場合について検討することが必要です。民法897条の祭祀継承者の規定をご確認して下さい。一応、その概要を説明しますと下記の通りです。
1、「系譜、祭具及び墳墓」(合わせて祭祀財産と称します)の所有権は、「祖先の祭祀を主宰すべき者」(祭祀主宰者)が承継することになります。系譜とは、檀家の記録などのこと。祭具とは、位牌、仏壇、神棚などのことです。墳墓とは、墓石や墓碑のことですが、墳墓を所有するための敷地(墓地)も、墳墓と密接不可分の関係にある範囲で墳墓に含まれます。
2、祭祀主宰者は、第一に、被相続人の指定により定まります。指定の方法には限定がなく、遺言に限りません。
3、第二に、被相続人の指定がない場合には、被相続人の住所地の慣習により定まります。
4、第三に、被相続人の指定もなく、慣習も明らかでないときは、家庭裁判所の審判により定まります。
2のケースが神美さんの御質問に近いケースだと思います。大伯母さんが神美さんの御両親もしくは神美さんを自分の祭祀承継者に指名すれば、大伯母さんの葬儀を神美さん側で執り行うことは可能であると思われます。しかし、現実には、大伯母さんの今後の生活費、医療介護に関わる費用を誰がどのように負担していくのかという問題がその前にやってきます。
大伯母さんの息子さん側と、大伯母さんの今後の生活・医療・介護について話し合うことが必要だと思います。より良い方法を御検討下さい。
どこでもいいのです
彼女は肩身の狭い思いをされているのですね。お子さん達からも邪険に扱われるとは残念なことです。バチなどはあたりませんが、悪い行いは悪い結果を生みますから、お子さん達が報いとして何か苦しみを受けることに繋がるでしょうね。
また、彼女のことを思っておられるあなたは偉いと思います。
ところでお墓についてですが、それはどこでもいいのです。
ご遺骨には魂は残っていないのです。
身体というものはこの世での魂の乗り物の様なものです。命が尽きてこの世を発つということは、この世での乗り物の様なものを捨てる、ということです。
ですから、あなた達のお墓でも、または公営のお墓でも、どこでもいいのです。
いづれは浄土でまた会えるのですから。
質問者からのお礼
ご回答下さりありがとうございました。
毎日理不尽な世の中を恨んでいましたが、心が救われた気がします。浄土では笑って幸せに暮らしてほしいと祈っています。