hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

亡くなった母に対する思い

回答数回答 3
有り難し有り難し 33

私の母は、3年前に癌で他界しました。

話せばとても長くなるので、ここでは書けませんが母は父に捨てられたりとても辛い人生だったと思います。

なくなる2年前に母は56才で若年性アルツハイマーになりました。
父とは離婚していましたし、私には姉もいるのですがアルツハイマーで話がめちゃくちゃな母と話をするのも嫌だと近寄りませんでしたので、母子家庭だった私が母のすべてを受け入れ一緒に暮らし介護してきました。

母子家庭という責任もあるなかの介護だったので、私もかなりのストレスでした。
徘徊する母を何度迎えに行ったかわかりません…

元気な頃は母子家庭だった私を助けてくれた大切な母だったので日頃はストレスを感じながらも笑顔で接していましたが、2年たつころからイライラが酷くなり私も鬱になっていまい、母に怒り散らすようになってしまいました。
いろんなものを勝手に持ち出したり隠したりされる度、言ってもなにもわからないことはわかってはいながらも、怒りを抑えきれず怒鳴り恥ずかしながら最後は手まで出してしまいました。
これではいけないと、行政に相談し施設で生活するようにさせてもらいました。
母はその後約一年で癌になりすぐに亡くなりました。
亡くなる前のまだ話せるころは、母は姉や父が顔を見せても知らない人だと言いましたが、最後の最後まで私と私の娘の名前は覚えていて、顔をみると名前を呼び、一緒に帰りたいから連れていってと言いました。

どんな事情があったにしろ、今でも母に手を出してしまったことを深く後悔し反省して胸が苦しくなります。アザのある母がそれでも私の名前を呼びニコニコしていた姿が今でもハッキリ頭に残っていて忘れることができません。
思い出すたびに涙がとまりません。
いくらお墓参りに行っても心が晴れません。
この気持ちは母には届いているでしょうか…母に許してもらうことはできるでしょうか…
とても苦しいです
反省し、母に気持ちを伝えたい反面心の奥で『私も大変だったから』という気持ちがどこかにあるせいでこのような自分を守るような書き方になってしまっている…ということもわかってはいます。
そんな気持ちになってしまう自分も許せません…

混乱して長文になり申し訳ありません


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お母さんの名前を呼んでみましょう

はじめまして、たかえさん。亀山純史と申します。

たかえさんのお母さんは、介護される身となって、あなたをお育てになったのではないでしょうか。たかえさんは、お母さんを介護することで、人は如何に未熟な存在であるのかを知り、今、こうして深い悲しみの中におられます。しかし、この悲しみの中から人としての成長が生まれるのだと思います。無理をして心を晴らす必要などないと思います。

さて、最後の最後まであなたの名前を呼び、ニコニコ笑っていたお母さん。お母さんにとってあなたの名前は、単に一人の人間を指し示す言葉ではなかったはずです。あなたの名前を呼ぶことでお母さんは安心なさっていたことだと思います。それは、あなたを最後まで頼りにしていた表れです。それならば、今度は、たかえさんの方から、お母さんの名前を何度も何度も呼んでみてはどうでしょうか。きっと、たかえさんの心の中に生き続けるお母さんは、生前のようにニコニコ笑ってあなたの呼びかけに応えてくれることでしょう。それがまた、あなたを人として大きく成長させてくれることだと思います。お母さんは死んでもなお、あなたをお育てになってくださいます。

最後に、私の回答が少しでもお役に立てれば幸いです。
※漢字の間違いがありましたので、訂正いたしました。(9/26 19:37)

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1500件を超えました


hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...

後悔なんて要りません。お母様はあなたの中で生きていきます。

あなたは、そのときそのときの最善をつくして生きてこられたのではないですか。
今思うと、そうなだけであって、その時はいっしょうけんめいにお母様のために、と思って決断し、行動してきた結果だったわけですから。

お母様はあなたを恨んでなんかなかったはず。大丈夫です。
これからできることは、先祖の供養とともに、あなたがお母様から学んだことを生かし、生きていくことでお母様の命があなたの中で生きてくるのです。

あなたの中にお母様の命は継承されています。後悔していのちを殺してしまうのではなく。生かすことが大切です。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1500件を超えました


禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...

インナーマザーからリアルマザーへの出逢い

人はおよそ母親だと思って相手にしているのは、自分の内なるインナーマザーである場合がほとんどです。
インナーマザーとは、幼少期よりずっと母親と共に生活をしてきた中で、自分の中で強く築かれてきた母親に対する内なる気持ち、虚像、想い、私の中のお母さんイメージです。
あなたの心の中にはお母さんが強く存在しています。
ですが、それは、あなたのプライベートなお母さんであって、オフィシャルな、パブリックな、公的なお母さん像ではありません。
ドラマの中の痛ましいシーンだけを切り取って、それがお母さんの全てであると思い込んでいしまっているだけです。
お母さんはもっと多面体、無限面体です。
もっと楽しかったころもあるはずです。
もっと優しい関わりだったこともあるはずです。
お母さんがもし生きていたら、そこを観ておくれといっているに違いありません。
あなたがお母さんへの供養として、そこの呪縛から解放されることです。
自分の中のお母さんを観ている状態です。
無くなった今でも、お母さんとのかかわりは心の中で新しいものとして日々、生まれ変わっています。今日は今日で、新しく合掌し、供養してください。
そうすることであなたはインナーマザーではなく、リアルマザーである、真実の「母親」をそこに見出し、語らう事が出来るでしょう。
それがあなたの中での本当の成仏です。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1500件を超えました


丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。 非通知は...

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
文章を読みながらまた涙が溢れています。
ふさぎこんでいたのが救われた気持ちがしました。
人として少しでも成長できるよう努力し、これからも母への感謝の気持ちを忘れず過ごしていきたいと思います。
本当にありがとうございました。

「身近・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

母の死に罪悪感と後悔で一杯です。

数日前に実家の母が亡くなりました。末期癌で、病気の発覚から僅か4ヶ月でした。 1ヶ月前に電話で話した時も体調はあまり良くなさそうな様子ながらも「死なない」とはっきり言っていました。 ところが2週間程前から体調が急激に悪化して電話もメールも出来なくなってしまいました。 母が亡くなった今、罪悪感に押し潰されそうです。というのも、喧嘩別れのような状況で死ぬまで優しい言葉をかけられませんでした。 私は幼少期から母との溝を感じて生きてきて、自分の気持ちを理解してもらえない。苦しい時に寄り添ってもらえないと感じていました。 成長するにつれて価値観や考え方すれ違いは増していき、次第に私は母に対して反抗するようになりました。 自立してからも反抗的な気持ちがおさまらず、溝がありました。 私が結婚し、孫をとても可愛がってくれましたが相変わらず溝は深いままでした。 一年程前子供を連れて実家に行った時に、自分の中でどうしても許せないことを言われ大喧嘩をして連絡を断ちました。死に目にも会わない覚悟でした。 ところがいざ母の病気が発覚した時に気持ちが揺らぎ、連絡を再開しました。 しかし、今までのことがあり母にどういう言葉をかけていいかわからずぎこちないやりとりでした。 コロナ禍で直接会うことは叶わず、病気に対して実感がわかなかったのもあります。そして、精神的に強い人なので母は死なないのではないかと根拠なく心のどこかで思っていました。自分より強い母が死ぬことを認めたくなかったのかもしれません。 喧嘩別れして以来、母に会えたのは葬儀の場でした。棺桶に横たわる母は別人のように痩せこけていました。 その時、言い様のない感情が襲ってきてその場では唖然とするばかりでしたが、自宅に帰ってから涙が止まりません。 もっとかけるべき言葉があったのではないか。優しくできたのではないか。そして、今までの人生で母にしてきた己の身勝手で酷い仕打ちを思いだし後悔しかありません。謝りたい。 闘病中に元気付けられればと子供の写真や動画を送った時の嬉しそうなお礼のメールが、辛くて読み返せません。心の中で和解しきれていないと感じていた私は、そっけない返事をしました。それが最後のやりとりでした。 子供のためにも切り替えなければならないと頭では理解しています。自分が悪いことは承知ですが、どうしたら前を向けるでしょうか?

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

父はどう思っているのでしょうか?

父が亡くなる直前まで心労をかけてしまいました。 婚約後、価値観の違いから衝突して、入籍の無期限延期を言われたのですが、 話合いをしても平行線で、自らピリオドを打ちました。 当時入院中だった父は病室から何度か電話をくれて 「心配しているけど、自分の将来なんだからおまえに任せる」と言ってくれていました。 遠距離恋愛の為、名古屋まで話合いに向かいました。 彼の要望を聞いていると、私が望むごく一般的なつつましい結婚生活は期待できそうもなく、好きな気持ちはあるけど、先々の事を考えて交際自体も終わらせる事を選んで自分の住む町へ戻りました。 翌朝、父の容体が急変し、16日間の危篤状態を経て他界しました。 この期間私の為に頑張ってくれたような気がしてなりません。 父も理解してくれていたこととはいえ、死の直前まで心労かけました。 その所為で死期が早まったのではないか? 糠喜びさせて、悲しい気持ちのまま旅立ったのではないか? 悔やんでも悔やみきれません… 父の訃報はSNSなどで知ることが可能ですが、彼からは音沙汰なしでした。 最後はお互い納得して別れたのに、別れてしまったとはいえ、ひと月まえに家族になっていたはずの人なのに…。 親族への挨拶まで済んで入籍直前なのに自分の都合で延期を言い出したのに、両親への説明や謝罪もしてくれませんでした。 別れることまでは考えていなかった彼ですが、その言い分が自分にだけ都合の良すぎるものだったので、私から去ることを決断しました。 それでもお互い人としての義理人情はあると信じていました。 私は愛されていなかったんだ… 今は内省していないと気持ちの置き場所が見つかりません。 職場の人もみんな知っていて、誰に対しても申し訳ない気持ちです。 私の状況を知る親族も二重の悲しみを抱いています。 葬儀の間、隣に座る姉の横には姉の旦那さんが居て、 本当だったらあの人がここに座っていてそれだけで救われたはずなのに… 父の死をこんな絶望感で受入なければいけないのは何でなのだろう? 私は何をそんなに間違えたのだろう? 彼氏に自分の気持ちを言ってはいけなかったのだろうか? たまに彼に対して恨みのような感情が沸き上がるのが辛いです。 父の死、ただそれだけを悲しむことができればどんなにいいか…。 「お父さん、ごめんね。」 父に会いたいです。

有り難し有り難し 31
回答数回答 2

最愛の妹を死なせてしまいました。

僕は先日4月26日未明に最愛の妹を亡くしてしまいました。妹は障がい者てんかんてんかんの病気を持ってました。家には認知症でほぼ何も出来ない母との3人暮しでした。仕事は2交代制でパチンコ屋デ勤めてました。昼間はデイサービスやヘルパーさんやらに見てもらってましたが、夜は基本2人にして妹が比較的しっかりしてたので長年任せてました。薬が最近なかなか全部飲めてなくて発作も増えて最後の日も前日夜ご飯食べてなくて調子悪そうでしたが、少し回復してる感じもあったのでそのまま夜勤務に行ってしまいました。夜中に帰って来たら妹は倒れていて、側にいた母親は何も出来ずてんかん発作が起こり嘔吐物で窒息で既に心停止で脈もなく救急車呼んで病院でも蘇生してもらいましたが無理でした。前日までは普通に生きてたのに未だに信じられません。僕が仕事休んで家にいたら。薬がなかなか飲めなくなってたので入院なり施設に入所なり今考えればいくらでも助かる命だったのに、全て僕のせいで一番大切な妹を亡くしてしまいました。本当にバカです。僕が死ぬべきでした。お通夜、お葬式はまだただ泣いてばかりいれば良かったし人も沢山来てくれて、今まで良く頑張ったとか言われましたが、妹もこれが寿命だとか運命なのかとも言われたり聞いたりしましたが、あの日の行動で妹の未来を変えてしまいました。1週間で仕事もう復帰はしましたが、全然やる気に慣れません?やる気ないなら休めとか言われたり前を向けとかプライベート持ち込むなとか言われましたがしんどいです。母はさすがに1人では家では無理なのでケアマネの計らいで今は夜勤務の時は短期入所で昼勤務の時はデイサービス日帰りで見てもらい、とりあえず生活はしてます。妹は本当に病気で重心で知的、足もたたない身体身体でしたが前向きで明るくいつも笑ってました。夜中でも家に帰ったらお帰りなさいと言ってくれて家族の太陽、天使のようでした。子供の頃から入退院繰り返しながら最近は在宅介護で上手くいってたはずなのち最後の1日2日の僕の判断力ミスで取り返しのつかないことになってしまいました。今は妹への罪悪感、夜誰も居ない喪失感、そして楽しかった日々をありがとう兄妹で家族で居てくれてありがとうと思いながら供養しか出来ません。そしてまた仕事です。色々手続きもあります。本当に辛いです。母もいますし妹の為にも頑張って生きて行くしかないですが辛いです

有り難し有り難し 27
回答数回答 1

父親を亡くした。

一週間ほど前に父が亡くなりました。 父は約10年前に病気で車イスが必要な身体になりました。その後も数々の病気をし、何回も命の危機になりつつも快復してきました。 私はその間、実家で一緒に暮らしていましたが、やはり。障がい者である父のことを邪険に思ってしまい、助けてあげないといけないのに、父の世話を母に押し付け、父から逃げていました。 子どもの頃から父のことは大好きで、年頃になっても2人で旅行に行くくらい仲良しでした。 はじめて父が倒れてからの約10年。入退院を繰り返していたこともあり、慣れてしまっていたと思います。 入院をすること自体、本来なら心配なことなのに、『父から少し離れて生活できるな~』なんて呑気に考えるようになっていました。 最後の入院時も、コロナ禍で面会すらできませんでしたが、『すぐに良くなって帰ってくる』とあまり心配することも不安になることもありませんでした。 それが、今回は帰ってきませんでした。 面会はできなくても電話することはできました。メールもできました。でも、私はしなかった。治療さえ終えれば帰ってくると思っていたからです。 父が亡くなり、後悔しかありません。私は本当に酷い娘です。 一人になってしまった母のことを支えなくてはいけないと思いつつ、自分がなかなか父の死を受け入れられません。 父への後悔が無くなるときは来るのでしょうか?

有り難し有り難し 8
回答数回答 2

育てて貰った兄の死を受け入れられません。

私は親が小さい頃他界し歳の離れた兄姉に何不自由なく育ててもらいました。20歳の頃、遊びすぎで言うことを聞かない私と厳しい姉から猛烈な叱りを受け怖くて帰れないまま20年もの時間が過ぎてしまいました。怖くて連絡が取れなかっただけで、仲の良かった兄弟から冷たくされるのも怖くて謝りにいけませんでした。ただそれでも母のお墓参りには行っていたのですが、先日恐れていた事が起きました。 母の日のお墓参り行った際、新しいお塔婆で兄の死を知りました。 家出した身分ですが、私は小さい頃から兄姉が大好きで5歳くらいから末っ子なので自分がみんなを看取るかもしれないと未来を恐れていました。本当は心の底から許してほしくて仕方がありませんでした。でも怖くて会いに行けなかった。謝ることもできずに私は私の暮らしをして勝手に生きていたのです。  でも20年の日々の中どうしたら謝りに行けるかをずっと考えていました。それでも行動に移せず、こんな現実を迎えさせてしまった自分は生きる資格なんてない、なぜ生きているのかと毎日苦しくて仕方がありません。兄は私達を育てるのに10代から昼夜働き苦労ばかりさせてしまいました。私は何一つ孝行できずに私は幸せに生きています。そんな自分が許せません。こんな未来は本望ではなかった、謝りたかったし身代わりになれるならなってあげたかったです。こんなふざけた自分をこの先どう生きていけばいいかわかりません。大切な人を傷つけた最低な自分です。死ぬ事もいけないこと精神を病む事もいけない事とわかっていますが毎日毎日苦しいです。最後まで逃げていた自分を許す事ができません。厳しいお言葉をお願いします。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

祖母に続き祖父を亡くしました

祖母を亡くしてから半年で祖父を亡くしました。その気持ちに整理がつきません。 祖父は最愛の祖母を亡くした後、体が弱り入院しましたが、コロナ禍で見舞いもできず、危篤の際に短い時間に1人ずつ面会できただけでした。 病院近くにホテルも取って駆けつけられるようにしていたのに、情けない事に亡くなる瞬間には間に合いませんでした。 初孫で本当に可愛がってくれたのに、こんなに突然二人とも亡くしてしまうなんて。特に祖父は、こんなに寂しい最期になってしまったのが悲しくて、申し訳なくて仕方ありません。 ただ、祖父母共にコロナなどの病死ではなく老衰だったので、天寿をまっとうしたのは幸いだったと自分を慰めていました。 そんな中「マスクを外そう」「コロナはデマ」と駅前演説をしている人達を目の当たりにしてしまいました。 それを引き金に、 「コロナ禍さえなければ、もっと祖父母に会いに行けたのに」 「入院した祖父をお見舞いに行けたのに」 「危篤になった祖父の手をずっと握っていれたのに」 「今際の際に独りにせずにいられたのに」 という気持ちがずっと頭で渦巻いています。 コロナはしかたない。感染対策の面会制限はしかたない。寿命はしかたない。 それで抑えていた後悔ややるせなさが、先述した活動・主張をする人達への怒り、腹立たしさとなって噴出してきます。 陰謀論やら何やら面白おかしく騒ぐ人達に向かって「じゃあ何ですか、私が祖父とこんな別れ方をしなきゃいけなかったのは、あなた方が面白おかしく言ってるデマや陰謀論やらのせいですか、こんな思いをしてる人も居るのに騒いで楽しいですか」と喚きたくなります。 そんな事あるわけないのに「こんな考えの人がいなければコロナはもっと早く終息していたかもしれないのに」と考えてしまいます。 いやそもそも、コロナなんて関係なく、もっと私が孝行していれば良かった。そうすれば幾分か気持ちもマシだったかもしれません。 これは八つ当たり過ぎないのだと思います。 ただ、 祖父の四十九日を心穏やかに迎えるために、 祖父母を偲ぶ際にこんな恨みのような気持ちを持ち出さないように、 この怒りを落ち着ける方法など、何かご教授いただけたら幸いです。 ここまでご覧いただきありがとうございました。

有り難し有り難し 23
回答数回答 2

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る