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旦那はお人好し

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有り難し有り難し 12

旦那は僧侶でなんでも屋ではありません。
旦那の友人は図々しい人です。

例を開ければ数しれず、たまたま団地の保証人や私の入院の保証人になっていもらっているので、旦那も言われるがままで、最近は私にもしわ寄せが来て。

旦那にできない事は出来ないと伝えてと言いました。

旦那の友人は今度入院し、手術をするのですが初めてその病院に診察に行く時は東京の病院なので場所がわからないから、一緒についてきてでした。

今回は手術する時に息子が付き添うので、ホテルの予約をしてほしい。パソコンを持ってないから。と家に頼んできました。

いくらなんでも図々しいし、時間の無駄なので、そんな事はいい大人なんだから自分でやるように言ってもらいました。

本当に人が良すぎる旦那です。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それでもいいのでは

人のためになると思い、行動している旦那様、素晴らしいではないですか。旦那様が嫌がっていて問題にしているならまだしも、奥様が自分の問題として捉えてイライラしているのは、ご自分の価値観を押し付けているように感じたてしまいました。

旦那様は頼られることをよろこんでいる部分があったりしませんか。お坊さんは、生き方だと思います。職業ではないので、人のために行動できる旦那様は素晴らしいと思います。そんな優しい旦那様だからこそ、魅力を感じて愛して一緒にいたいと思われているのではないですか。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

口にするだけ自分が苦しむ

(^<^)その図々しい人にはもちろん私も同調できません。
旦那さんを一人前にするのも奥様の一言次第です。
これからは夫婦の絆を最優先にしてもらい、なるべくそういう人とは自分を理由にしてでも縁を切ってもらいましょう。
不安材料を減らしていく。それで、その問題は解決です。
あえて別角度から申し上げれば(^<^)、
問題視、問題化させてしまうことが救われの道でもあります。
穏やかに暮らすためにも、
問題視しない。
問題化しない。
問題化させない。
夫なり夫の友人を問題にしている時の自分でどういう事が起こっているかというと、実は自分自身の問題・トラブル・不安・モヤモヤとなっているのです。
「あの人が、ダンナが、ダンナの友人が…」とそれを問題にしているご自身の中で問題化されてしまっているのです。
そういう眺めを実践してみてください。
お腹の赤ちゃんの為にも、もう少し穏やかに過ごされることをお勧めいたします。
その為には、相手の事をとやかく詮索したり、問題視したり、問題化させたり、問題として浮上させない。
川の上流から流れてくる出来事の一つ一つを全部取り上げなくていいのです。
見届ける。
見送る。
スルーする。
拾い上げない。
本当に問題になった時にだけ問題にする。
そういう生きかたが仏の心に通じます。
反対に、全部拾い上げてワタクシの中に取り入れて、自分のフィルター越しに白黒善悪をつける。
それでは自分の価値観に当てはまらないのはNGと言っている状態ですから、心が疲れます。
言うだけ無駄。思うだけ心が疲れるだけです。
だから問題化させない。
そういうのを無くす事を南無するといいます。
自分を中心としたものの見方が無くなっていくのです。
これをきっかけに、相手のこと、他人のことをとやかく、拾い上げて問題化、問題しないように生活してみてください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

最近はあまりの図々しさに、旦那も嫌がってます。

ことわるのですが、やんわり断るのでその人も今回はダメでも次回は大丈夫だと思ってしまうのでしょう。

そのうち、あんたの嫁を貸してと言われたら、かすんじゃないですかね?

最近はあまりの図々しさに、旦那も嫌がってます。

ことわるのですが、やんわり断るのでその人も今回はダメでも次回は大丈夫だと思ってしまうのでしょう。

そのうち、あんたの嫁を貸してと言われたら、かすんじゃないですかね?

それが、その被害が私にも来るんです。結局病院までの道程もホテルを探すのも私がやりました。旦那は仕事で私がやりました。

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