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六道

回答数回答 2
有り難し有り難し 12

友人のものを3つ盗んだ。
嘘癖がある

過去にペットを虐待した(今では可愛がっていますが)

欲しいものが尽きない
等問題が尽きない私でも天国に行きもう一度人間に生まれ変われるのでしょうか。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1363235543
これを見てから死んだ後の事を想定し恐くて居れません。

来世に反映されるだけという話もありますよね?

2015年9月28日 21:56

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

素人さんの回答ではなく、お釈迦さまの言葉を

>前世への執着を捨てよ。来世への執着を捨てよ。現世への執着を棄てよ。存在の彼岸に達した人は、あらゆることがらについて心が解脱していて、ふたたび生れと老いとを受けることがないであろう。

これは発句経(ほっくきょう)という仏教の中でも特に古いお経に書いてあるお釈迦さまの詩です(第348番目)。お釈迦さまは前世も現世も来世も全部捨てろとおっしゃり、そして『心が』解脱するとおっしゃってるのですよ。つまりは「生まれ変わりのことなんか考えても怖くなるだけだ」ということです。

知恵袋の回答を拝見しましたけど、ああいうのは昔の人が子供を脅かして「しつけ」をしていた名残です。昔は拡大家族の中でお父さんになり、お祖父さんになるにつれてだんだんと本当のお釈迦さまの言葉通りに理解を深めていったのですが、核家族になり、いわゆる無宗教が重なって子供のしつけのまま止めっている人が増えてしまいました。そういう素人さんの回答です。安心してください、ああいうのは嘘ですよ。来世に反映されるのではなく、今、サクラさまが後ろめたさを抱え込んでいらっしゃることが心の輪廻なんです。

過去にやってしまったことの逆をやってみてはどうでしょう?盗んでしまった→シェア(施し)をする。嘘をついてしまった→思いやりのある言葉をかける。ペットは出来ていることを続けるとして、欲しいものが尽きない→他の人が欲しい物を手に入れた時に一緒に喜ぶ。こんな感じで。

最後にお釈迦さまの詩をもう2つプレゼントします。
>たとえ 悪をなしたりとも ふたたびこれを なすことなかれ 悪のなかに たのしみをもつなかれ 悪つもりなば 堪えがたき 苦しみとならん(発句経117)
>もしひと よきことをなさば これを また また なすべし よきことをなすに たのしみをもつべし 善根(よきこと)をつむは 幸いなればなり(発句経118)
引用元:友松圓諦『発句経』講談社学術文庫
※最初に挙げた前世うんぬんのはニュアンスが伝わりたりやすいよういじってます

2015年9月29日 3:07
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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み) 最近YouTubeを...

心が汚れている私のために宗教があるのです。

仏教は因果応報、自業自得を説きます。しかし、罪を犯せば万事休すとはいいません。そんなふうに考えるお弟子さんにお釈迦さまは、「阿難よ、そんなふうに考えてはならない。人を殺す者がいると言っても四六時中殺しているわけではない。それにそんなふうに考えたら心を翻すということもなくなってしまう」とおっしゃっています。

仏教は心を正しく、清くせよと教えます。逆に言うと私たちは正しくなく、清くないのです。よこしまで汚れているのが私たちで、そこから生き方を変えていこうとするから宗教に意味があるのです。現状や過去において罪や心の汚れはあって当たり前です。大切なのはこれからです。

仏教は正しく生きること、心を正しくすることについて、さまざまに教えてくれています。罪の意識をお持ちなら、懺悔(さんげ)をおすすめしたいと思います。以下を参照してください。
http://hasunoha.jp/questions/1940

2015年9月28日 23:43
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有り難し
おきもち

私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...

質問者からのお礼

六道は嘘なのですね。

少しほっとしました。

回答ありがとうございました。

六道は本当なのですね

↑すみません。ミスです。
気にしないでください

「仏教全般」問答一覧

仏教をもっと学ぶ方法は?

こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 42
回答数回答 4

どちらの宗派、教えを信じれば良いのか

初めて質問を投稿いたします。 るると申します。 私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。 そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。 数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。 その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。 永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。 前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。 煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。 両方を信じる道もあるのでしょうか。 拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。 何卒よろしくお願いいたします。

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