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あの世とは、どういう所ですか?

自殺をしたら地獄行きですか?

親より早く死んだら地獄行きですか?

霊魂になっても病気になりますか?

素人にもわかる回答をよろしくお願い致します。m(__)m


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あの世とは一秒先、一秒前のことです。

死後の世界のことは死んだ体験があって、生きて帰ってきた人がいないのですから誰もわかるわけがありません。
禅仏教でいう死後の世界とは、誰かの死後もあり続ける「この世界」のこと。
名付けて「誰かさんの❝死後の世界❞」。
お釈迦さまもキリスト様も亡くなった後にあり続けているこの世界こそ「誰かさんの死後の世界」でしょう。
生きていた人達の死後、その影響がこの世界でちゃんと残る。
作用や影響力として生き続けているからエアコンもアニメもこういうサイトも生まれる。今この世にあるすべてのものは先人たちの影響力がリボーンしたものでしょう。
逆に、あなたが自殺すれば、自殺というものすごく後味の悪いことをあなたの死後の世界=この世で、縁あるごとに誰かがいやな思いをし続けることになるから、自ら死期を早めることはあまり良い影響を及ぼさないものです。

Qあの世とは、どういう所ですか?
Aこの世に地に足をつけていない精神状態のことです。思いの世界に旅立っていること。それがあの世です。1秒前1秒後。
現実のこの世にあいながら現実ではない心に行くことです。ありもしないことをこの世にありながら考えている心理状態。どこにあの世がある。誰がそんなこと言った。何を根拠にそんなことがあると思うのか。そういう幻ごとを考えて地に足がついていない心こそあの世である。
こういう道理を明らかにせず人の話をうのみにしている心理状態は、いくら仏典にそう書いてあろうが、物事をいい加減に考えていることです。だから、ありもしない妄想が生まれる。そういうファンタジーな世界はありもしない頭の中だけの妄想世界なのです。地に足のついていない想念世界に旅だってしまっているという意味を込めて「あの世」というのです。目を覚まさんかい。
Q自殺をしたら地獄行きですか?親より早く死んだら地獄行きですか?
A親や、あなたの知人が生きながらに心が暗い生き地獄をさまようことになる。地獄とは、人間の心の状態のことです。

Q霊魂になっても病気になりますか?
A頭の妄想世界、あっちの世界に旅立っているような生き方を幽霊、霊魂という。
そういうモノの道理を明らかにしていない心こそ無明という病です。
あなたが生きながらにこの世で、その苦しみ、悲しい心を治せばいいのです。
私も仏教に出会い、迷いの心から救われました。
あなたもきっと救われるはずです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あの世。この世。その世。どの世?

お坊さんの中にはあの世を知る人は一人もいません。
なぜなら死んだらもう戻ってこないから。あの世すらあるのかないのか、死んでみなくちゃわからない。

命が生まれたとき、生まれたことを知る人はいません。同じように死んだことも知ることはできない。
体は冷たくなり認識する機能はなくなるわけですから。

その程度のことしかわかりません。
お坊さんは死後の世界を語る人ではない。今どう生きたら救われるか、お釈迦様の見つけられた救いの道を示すことが役目です。共に仏道修行いたしましょう。救われちゃいましょう^ ^

私たちが知る世はイマココしかない。未来も知らない、過去も記憶でしかない存在しない。あの世も、その世も何にもない。語る必要もない。イマココで救われたい、楽な生き方を手にいれたいですよね。死ぬ前に。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

これからの生き方を

拝読させて頂きました。
なるほど、あなたが疑問に思うのももっともな事ですね。
邦元師・丹下師がおっしゃることももっともかと思います。誰も死んで見に行ったことはないですからね。
様々な経典には書かれていますが誰も見てきて戻ってはいません。つまり仏様にしかわかりません。

ただ、私達はこの肉体だけで生きているのではありません。いずれその死が訪れて肉体は消費期限が訪れて滅びていきます。また新たな物へと移り変わったいくのです。
ですから今私達はひたすら死に向かって進んで行っています。

そして私達の心つまり魂も移り変わっていきます。
死を迎えその先があの世です。
私達は遥か昔から常に輪廻を繰り返していると言われて参りました。
私達も死によって行き先が変わって参ります。
行先はその業つまり行いによって変わっていくのです。
欲望や怒りや争いがその心を支配しているならば、例え死んでもその悪業はついて回るでしょう。
己の肉体がなければ余計に我欲によって奪い合うこと争い続けることでしょう。
生きていても我欲ばかりで人のものを奪い人を傷つけ、人やものを殺すような悪業を重ねればその報いが永遠について参ります。

私達は一人一人では本当に儚い愚かな存在です。ですから私達は仏様の教えやお導きがなければ救われない存在です。
だからこそ死んでからも仏様のお導きを正しくお受けなさることが必要なのです。
でなければ私達は輪廻を繰り返して永遠に迷い流転していく存在です。

さて質問ですが
あの世とは、どういう所ですか?→永遠に迷いを繰り返す所です。ただ仏様の浄土に生まれて修行を積まれて成仏する道もございます。

自殺をしたら地獄行きですか?→仏様のお導きを受けて浄土に往生すれば迷うことはありません。地獄には行きません。

親より早く死んだら地獄行きですか?→いつどの様な死を迎えても仏様はお導きなさってくださいます。死が早いか遅いかではありません。

霊魂になっても病気になりますか?→死してその魂が貪り・怒り・愚かさに支配されているならば永遠に苦しみます。その様な苦しみの状態が病ならば病だと思います。

いつ如何なる時も仏様は私達をお見守りなさって下さり、お導きなさって下さいます。
あなたがこれからの人生を心清く正しい行いをなさり、正しい信仰を持たれていかれます様心よりお祈り申し上げます。

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脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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