無残に殺された動物の魂は救われますか
最近は、犬や猫などの小動物はペットというよりも家族、という感覚になってきていて久しいですが、その反面酷い動物虐待の事件が後を断ちません。
ネットが出来てからというもの、わざわざそういう動画や画像をネットに流したりする外道も多いです。
殺処分も同様ですが、そんなひどい目に遭った子たちは、ちゃんと成仏できるのでしょうか?
恐怖と苦しみを引きずったまま、この世を彷徨っているのではないだろうか?
そしてそんなことに楽しみを見出す外道にはちゃんと罰が下るのでしょうか?
最近立て続けに酷い事件を知ったので、どうなのだろうとずっと思っています……。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人間より動物の方が強い
私のお寺では、ペットの合同供養を年一回行っております。
お参りされる方から、パートナーを失くした喪失感が伝わり、本当に愛し愛される関係をペットさんと築かれたのだな、とひしひしと「想い」が伝わります。
私はそのペットさんが、極楽浄土で幸せに暮らせるよう祈ります。
反面、おっしゃるとおり、虐待が後を絶たないようですね。
残酷ですね。動物の虐待、殺処分。
無意味としか言えない行為です。あんなもの。
動物は死を従容として受け容れます。
おそらく無残な往き方をした彼らも、そうであると思いますし願いたい。
私は祈ります。
けんもさんも、
また、この目を覆いたくなるような惨状を憂う方も祈ってください。
どのような方法でも構いません。
人の意念は通じます。
とにかくこの「事実」に祈るのです。
抵抗できない動物に手を加えている方ですが、心に深いダメージがあります。
それが、あのような道を外した行為に繋がるのでしょう。
一刻も早く過去を悔い、病院で適切な治療を行うのです。
このままでは、真っ当な社会生活が困難となりましょう。
虐待をされた方は、すでに罰を受けています。
自分の犯した罪は生涯消えません。
本当に二度と繰り返さないでほしい。
言い訳は無用です。
拝読させて頂きました。
あなたがおっしゃるとおりあのような蛮行は本当に許されない悪業です。
人間の目先の儲けの為に生き物を大量に生まれさせ、売れなければ処分する。
資本主義社会が生み出した愚かな者達の罪深い悪業です。
その者達は己の深い罪によって必ずやその報いを受けることとなります。
私達はその様な悪があることを真摯に受け止めてどうしていくべきかを正しい道を考えて実行していく責任があります。
亡くなった多くの生き物がこれから仏様に導かれて仏様のもとに生まれ変わり、心から安らかに安心してもらえるようにと仏様に願い、心を込めてお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
仏様はその子達を間違いなく救い摂り、仏様のもとに導いて下さいます。
そしてその子達は心から安心なさってくださいます。
私達も含めその子達も全ての生きる者を仏様は正しくお導き下さりそして心清くご成仏へと導いて下さるのです。
あなたもどうかその子達が仏様にお救い頂きます様にと心から手を合わせてご供養なさってくださいね。あなたのその思いは必ずや仏様に届きその子達救われて参ります。
いつの世にあっても人の行いとは本当に愚かなことが多いのです。自分達の利己的な都合や我欲の為に生き物の命を奪い、今も昔も人のものを奪い取りそして人を殺し、虐殺や抹殺も辞さない、それが愚かな私達人間が続けてきた悪業です。
あの第二次世界大戦による何千万人の尊い命が失われたことはその愚かな人間の悪業の姿です。
改めて私達はその様な悪を決して許さない、自らその様なことをしないようにと戒めて生きていくよう心掛けていきたいと思います。
そして全ての生命の尊厳を本当に大切にすることをこれからも肝に銘じて生きていきたいと切に願います。
あなたが成仏すること せめて行動すること
私の勧める道はあなた自身が今回のことを機縁として仏道を求めてあなた自身が成仏することです。成仏とはなにか。
あなたが仏の法、仏法を理解し、会得することです
仏教は他人ごとではありません。
他人がジョーブツした、誰かを誰かに成仏してもらったなんていっても、自分が生きながらに成仏しないうちは本当は意味がないと思います。
ネットの僧侶派遣のバイト僧がやってきて訳の分からんお経読んで「ハイ、成仏しましたよ。お布施プリーズ」なんてものであなたは納得するでしょうか。
仏教ってそういうもんじゃないと思いませんか。
あなたの言う成仏って何でしょう?
仏教仏道は自己を明らかにする道です。
その動物たちがかわいそうだと思っておられるのは「あなた」ですからあなたの問題なのです。
あなたが動物たちを憐れんで苦しんでいる個所はどこにあるでしょうか。
動物たちの側にもあるでしょうが、心理的に苦しんでいるのはあなた自身のはずです。
ゆえに自己をならい、自己を明らめ、自身の衆生=自分の中の相手を憐れむ気持ちを救ってあげることです。
救ってあげるためには、自分を仏法に導くことです。
自分を法に導くとは、自分という人間意識、人間の観念・価値観・分別心を中心とした思考のものの見方ではなく、人間の見解を離れた心に目覚めることです。
行動としてできることもなさるとよいでしょう。
年間に殺処分されている動物たちは何十万と言われています。
人間に毒ガスで殺されるために生まれて来たわけではありませんから、殺処分をなくすためにも殺処分をなくした市の手法を見習い、ノウハウを拡散したり、飼い主募集サイトとのリンクなども提案して、できる限りのことを行動してください。
アイデアとしては、動物愛護団体の中で無人島を所有している人に働きかけて動物王国を作ることです。あなたが動物愛護団体で働いてお金をあつめて動物たちが安心して暮らせるシステムや空間を作ることです。(無人島価格数千万~)
人間の手を離れれば人間世界の価値観で良し悪しをいう人はいなくなりましょう。
もちろんそういうものを作れば作ったで動物同士の弱肉強食も当然ありましょう。
それでも人間の手で人為的に殺すことが無くなれば致し方ないことです。
動物は動物を買う人がいるから売る人が存在します。
買う人、売る人がいなければ、殺される動物は生まれないのではないでしょうか。
質問者からのお礼
私の質問に答えてくださった御坊様方、ありがとうございます。
私は以前猫を見送っていて今も猫と暮らしている身なので、自分の家族にした猫を大切にする反面、悲惨な末路を遂げる子のことを思うとより一層のやりきれなさに襲われていました。
仏壇に手を合わせる時、いつもそんな命の奪われ方をした動物たちがあちらの世で心安らげるように祈ってきましたが、これからもそうしていきたいと思います。
あちらの世では心穏やかに魂が癒やされていることを祈っています。