自分らしく生きるにはどうしたら良いですか?
初めて質問させて頂きます。
私は就職活動を終えた学生なのですが、その事について悩んでいます。
ありがたい事に内定を頂き、その会社に入社しようと考えていますが、周りがそこはあまり続かない所だよ。でしたり、女の子だから仕事を長く続けなくても結婚したら良いよ。などと言ってきます。
友達の内定も決まり、先生からも早く就職決めなよと煽られて、元々やりたい事やしたい事も無かったため内定を頂いた所に入社しようと考えていましたが、決まったら決まったらで周りが色々言ってきて悩んでいます。
元々の家庭環境もあり、いくら会社や仕事が良くても人間関係一つで辞めたり、安定というものが不確かな事を経験しており、会社名よりも入ってからの職場環境でしたり自分がどのように行動していくかが大切だと思っているのですが、周りからの声にもっと良い所に就職した方が良いのではないかと考えてしまいます。
仮に友達と同じ会社に入社した所で私とは違う人間なのですから、その職場が合う合わないが出てくる事も分かっているのですが、会社名を言うとみんながまぁ、頑張ってや転職も考えて行動したら良いよと言ってくるのが辛いです。
人の人生を生きるのではなく、自分の人生を自分らしく生きる心を作っていきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
便所のネズミと倉のネズミ
大昔の中国、日本で卑弥呼が生まれるよりもずっとずっと昔の話です。役所の木っ端役人だった男は、役所のトイレを使うたびによくネズミを見かけました。そのネズミは風通りの良すぎる粗末で狭いトイレで、人や犬の気配にビクビクしながら汚物を食べて生きていました。
しばらくして男はちょっぴり出世し、米倉の管理人になりました。米倉に出入りしているとまたネズミをよく見かけます。しかしこちらのネズミは広い倉に住み、人間が入ってきてもどうせ手が届かないことを知っており、悠々と美味しい穀物を腹いっぱい食べています。
それを見て男は思いました。「あぁ、便所のネズミも倉のネズミも同じネズミなのに、居場所が違うだけでこんなに暮らしぶりが変わってしまうのか。人間だって同じじゃないのか?俺は便所のネズミにはなってはいけない!」
男はそれから努力に努力を重ね、一国の宰相まで登り詰め、秦の始皇帝が天下統一をするための土台となる国づくりを成し遂げました。名を「李斯(りし)」といいます。
さて、私は柚子さまに「居場所は慎重に選ぶべきだから、その会社は止めておきましょう」と言うつもりは全くありません。この話はとても『個性的』だと思うのですよ。
私もお寺のお茶菓子をよくネズミにやられてしまうのですが、そういう時は大体、まず腹が立ち、次に対策を考えるのですよね。とても自分の人生になんか振り向きませんよ。でも、この人は人生の道しるべとしてしまった。その『感性』がとても個性的だと思うのです。
迷ってしまうほど周りからたくさんの意見をいただける…ありがたいじゃないですか。誰にも意見をもらえなくなってしまったなら、それは自分の人生を生きているのではなく、自分勝手な人生を生きていたということですよ。
そうじゃなくて、人と人との繋がりの中で何を感じ、どう決断するかで自分の人生が決まるのです。人の意見を聞いても、その聞き入れるということをしたのは自分なのですよ?そこに主体性を持たず、フラフラと聞いているからみんな引っ切り無しに思い思いの意見を言ってくるということもあるのかもしれません。
こんなトコで我々の回答を待っていても仕方がありません。もう一度、その企業の様子を調べてみてはいかがですか?自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の感性で決断しましょう。
その場所が教えてくれる
仕事の内容で「自分らしさ」が変わるのではありません。
どんな仕事であっても、そこで「自分らしく」いればよいのです。
最初からつくろう人、かまえる人は、いわゆるメイク(作り事・脚色・そうでなく見せる事)をするわけですから、心をメイクする分だけ、心の労力がかかります。
これは無駄なエネルギー消費、思いのエンジンの空ぶかしと言えます。
心がいつでもすっぴんな人は、ナチュラルですから、構えがありません。
「自分らしさ」すらなく、今持っている事をアウトプットする、インプットするだけ。
ご質問自体も「今からあらかじめこうした方が良いのではないか」という、事前のかまえ事、繕い事、心のメイクですから、心にとっては重いのです。
今の時点でアレコレ思ても空ぶかし。何をするにしても、ぶっつけ本番で、その時その場をやればイイだけなのです。
今から作った「自分らしさ」ではなく、そこの場所がそこで教えてくれる本当の自分らしさがそこで生まれるのです。
私は、今、長野県のあるお寺にお手伝いに来ています。
数年ぶりに再開する人たちばかり。
その場で、毎回新しく❝応じて❞います。
昔は痩せてましたから太った太った太った太った太った太った太った7人の人に7回言われました。厳密には、7人の人から1回ずつ「太った」と言われているのです。
そこに「またか」はありません。
毎回、そこで頂く。そこのやりとりをする。
それが、わたしの「らしさ」を超えたわたしそのもの。(痩せろや)
「らしさ」はぶっちゃけ、今そこに無いものですから厳密には幻想なのです。
理想の「私らしさ」は過去の事。今の私はチャーシューがリアルの私。
本当の、自分「らしさ」は、いつでも、たった今その場のリアルな自分以外ありません。
それが分かれば「らしさ」は要らない。
誰からの「こうしたほうがいいよ」も介入されない。
いつも自分のリアルな真実。
だからこそ、あらかじめ思い描いている「自分らしさ」をも無くしてしまえばいい。
すっぴんの自分を真新しく生きてみてください。
それが本当に自分を生きるという事になると思いませんか?
「自分らしさ」という狙い所、理想的な自分のイメージよりも、いつでもたった今の方が、本当のそこでの真実の自分です。
そのように生きることが心の安楽につながります。
未来はわからないが、未来を描いてみては?
世間の評判もまるっきり嘘とは限りませんが、どんな会社でも、その会社で頑張っている人もいるわけだから、入社してみないとわかりませんよね。
その会社に入ってから、将来どのようなキャリアが待っているのかは、考えてみたほうがよいでしょう。
若い女性ばかりが目立つお店とかだと、じゃあ、長く勤めている年配の人は、裏方の仕事になるのか?本社勤めになるのか?
アナウンサーだって、若い頃はテレビに出ますが、出世して管理職になればテレビに出なくなる。
だから、ずっとアナウンサーでいたい人は会社をやめてフリーのアナウンサーになる。
未来のことはわかりませんが、何年後にはこうなりたい、何歳のときはこうなるかもしれない、というビジョンを描いてみるのは有意義だと思います。
「自分らしさ」は、固定的なものではありません。常に上書きされ更新されます。
変わらないことに執着するよりも、
どのように変わっていくかを自分でプロデュースするほうが、若い人には大切かも。