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偏見

人に対して偏見を抱きがちで見た目で
「うわ~、この人いじわるそ~」
「性格キツそうだな」「関わりたくないな」とか勝手に判断してる自分がいます。

いつも実際話すとみんな親切に接してくれて
いつも申し訳ないなと思います。

このような偏見、先入観を抱かないようになるにはどうすればいいでしょうか?

有り難し 22
回答 3

質問投稿日: 2015年10月3日 13:04

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

思いを先走りさせない。

本当は、目玉の方が早いのです。
ですが、その直後、考えをおこす。
先に考えごと、先入観、偏見を起こしてから、その人を見るという事は絶対にありえません。
常に、最初に事実をみて、その直後に、そこに思いを付け加えているはずです。
よって、明日から、常に目玉の方を優位にしてみてください。
その人を見るのも目玉が先。
その人がどういう人であるのかを本当に探るのも、まず、目玉が映しているように味わうことです。
思いやコメント、ツイートはその後です。
思い無し、コメントなし、ツイートなしで物事も人もみるようになればよいのです。
相手をみて思いの中でつぶやかない事。
相手をみて見えた通りに過ごすことです。

今そこで、あるものをみてください。
観た瞬間はそこに思いが入り込まないはずです。
それがみえた通りのままでいるという事です。
眼を優先させ、心や思いを優先させていなあり方です。
見えるのはウサギだと思ってください。
思いは後からノコノコついてくる亀だと思ってください。
亀(思い)を優先させると、思いが先立ちます。

3年前
回答僧

大慈

喜心(きしん)・老心(ろうしん)・大心(だいしん)

喜心とは文字通り喜ぶ心。
私が修行道場で修行生活をし始めたころの話です。およそ三か月間、ロクに太陽の光も拝まず、超体育会系の空間で毎日毎日、いや毎秒毎秒と言っていいほど怒鳴られ、否定されてばかりの毎日でした。

今は暴力禁止になっていますが、まだ私の頃は暴力があったんですよね…おまけに中途半端に暴力禁止が言われ始めていたから「後腐れなくひっぱたけないから三時間くらい正座してろ」と座らされ、でも結局、蹴っ飛ばされるんですよ…それでいて確かに自分で自分の修行をする力量が備わっていないから文句も言えない…情けないわ痛いわ恐いわ…もう鬱々なんてものじゃありません…坐禅の時間になると本当に涙を流して喜ぶんです。その時間だけは否定されないから。

でも、三か月たったある日、外部のお婆さんと出会いました。出会って、こんにちはとおっしゃって、ニコッと笑って下さった。私はその笑顔が心の底から嬉しかった…何の変哲もないただの挨拶でしたけど、涙があふれてしまった…喜ぶ心、嬉しい心は自分自身を救うのです。

あぁ、やっぱり千字で三心に例話付きは無謀か…ちょっと飛ばします。

老心、これは老婆のような親切な心です。いわゆる真心。先程のお婆さんの笑顔のことですね。
ねこさんがおっしゃる「みんな親切」な所をよく観察してみて下さい。親切にしている人の心には何のよどみも無いはずですよ。他人に親切にすると自分の心が清らかになる。

最後に大心、これは他人に共感する心です。ねこさまが親切にされて喜べば親切にした人も嬉しい。ねこさまが他人に親切にして、喜んでくれたらねこさまは嬉しい。だから他人のことでも自分の事のように一緒に喜んだり、悲しんだりする心です。

ちょっと乱暴な説明になりましたが、この喜ぶ心、親切な心、共感する心が優しい心です。自分の心の平穏のためにこの優しさを実践していけば、そのうち先入観そのものは残っても、嫌う心が消えていきます。

3年前
回答僧

願誉浄史

偏見かもなと自覚していればよいのでは

偏見とか予測とかは、ヒトが生きるため・効率よく生活するために身につけてきた能力でもあります。
打率を上げるためのテクニックなのかもしれません。
相手ピッチャーの投球を予測する。それも偏見と言えば偏見です。
テストでやまをはる、とかもそうでしょう。
残念ながら、偏見が、意外と当たる場合があるのです。
偏見を使うほうが効率が良い場面があるのです。
問題は、相手が人間の場合に人権侵害の危険があること。
犯罪歴のある人と付き合わない(偏見を使う)ほうが安全面からは効率的ですが、
過去に罪を犯した人間だからといってまた悪いことをすると限らないので、
この場合は偏見を使ってはいけないのです。
あなたの「この人いじわるそう」も、たぶん、けっこう当たっているのかもしれません。急いで判断しなきゃならないときは偏見を使うのも仕方ない、しかし、じっくり吟味できる場合は偏見を使わない。
夜中に包丁持った人が家に入ってきて「強盗と決めつけるのは偏見だ」という余裕はない。
偏見は脳にインストールされた便利なアプリ、しかし人を傷つける可能性があると、自覚するのが大事ですね。

3年前

質問者からの有り難し - お礼

大慈様
ご回答ありがとうございます。
喜心、老心、大心という大切な心を 
大慈様の実体験と共に教えていただき大変わかりやすかったです。
素敵な心だと思いました。
その3つの心を持ちながら人に接せられるように努めたいです。

丹下覚元様
ご回答ありがとうございます。
丹下様が仰られた様に私は人を見た後、
色々一人で考えをこねくり回して勝手な感想を抱いてました。
眼を優先させ思いを優先させない、
できるようになるには時間がかかりそうですがそう努められようになります。

願誉浄史様
ご回答ありがとうございます。
偏見は当たることもあります、でも偏見は人を傷つける、
その2つの事柄を私はしっかり認識せず、ただ自己嫌悪に落ちてました。
この出来事の本質に触れられたような気がします。

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