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偏見

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人に対して偏見を抱きがちで見た目で
「うわ~、この人いじわるそ~」
「性格キツそうだな」「関わりたくないな」とか勝手に判断してる自分がいます。

いつも実際話すとみんな親切に接してくれて
いつも申し訳ないなと思います。

このような偏見、先入観を抱かないようになるにはどうすればいいでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

思いを先走りさせない。

本当は、目玉の方が早いのです。
ですが、その直後、考えをおこす。
先に考えごと、先入観、偏見を起こしてから、その人を見るという事は絶対にありえません。
常に、最初に事実をみて、その直後に、そこに思いを付け加えているはずです。
よって、明日から、常に目玉の方を優位にしてみてください。
その人を見るのも目玉が先。
その人がどういう人であるのかを本当に探るのも、まず、目玉が映しているように味わうことです。
思いやコメント、ツイートはその後です。
思い無し、コメントなし、ツイートなしで物事も人もみるようになればよいのです。
相手をみて思いの中でつぶやかない事。
相手をみて見えた通りに過ごすことです。

今そこで、あるものをみてください。
観た瞬間はそこに思いが入り込まないはずです。
それがみえた通りのままでいるという事です。
眼を優先させ、心や思いを優先させていなあり方です。
見えるのはウサギだと思ってください。
思いは後からノコノコついてくる亀だと思ってください。
亀(思い)を優先させると、思いが先立ちます。

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おきもち

喜心(きしん)・老心(ろうしん)・大心(だいしん)

喜心とは文字通り喜ぶ心。
私が修行道場で修行生活をし始めたころの話です。およそ三か月間、ロクに太陽の光も拝まず、超体育会系の空間で毎日毎日、いや毎秒毎秒と言っていいほど怒鳴られ、否定されてばかりの毎日でした。

今は暴力禁止になっていますが、まだ私の頃は暴力があったんですよね…おまけに中途半端に暴力禁止が言われ始めていたから「後腐れなくひっぱたけないから三時間くらい正座してろ」と座らされ、でも結局、蹴っ飛ばされるんですよ…それでいて確かに自分で自分の修行をする力量が備わっていないから文句も言えない…情けないわ痛いわ恐いわ…もう鬱々なんてものじゃありません…坐禅の時間になると本当に涙を流して喜ぶんです。その時間だけは否定されないから。

でも、三か月たったある日、外部のお婆さんと出会いました。出会って、こんにちはとおっしゃって、ニコッと笑って下さった。私はその笑顔が心の底から嬉しかった…何の変哲もないただの挨拶でしたけど、涙があふれてしまった…喜ぶ心、嬉しい心は自分自身を救うのです。

あぁ、やっぱり千字で三心に例話付きは無謀か…ちょっと飛ばします。

老心、これは老婆のような親切な心です。いわゆる真心。先程のお婆さんの笑顔のことですね。
ねこさんがおっしゃる「みんな親切」な所をよく観察してみて下さい。親切にしている人の心には何のよどみも無いはずですよ。他人に親切にすると自分の心が清らかになる。

最後に大心、これは他人に共感する心です。ねこさまが親切にされて喜べば親切にした人も嬉しい。ねこさまが他人に親切にして、喜んでくれたらねこさまは嬉しい。だから他人のことでも自分の事のように一緒に喜んだり、悲しんだりする心です。

ちょっと乱暴な説明になりましたが、この喜ぶ心、親切な心、共感する心が優しい心です。自分の心の平穏のためにこの優しさを実践していけば、そのうち先入観そのものは残っても、嫌う心が消えていきます。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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偏見かもなと自覚していればよいのでは

偏見とか予測とかは、ヒトが生きるため・効率よく生活するために身につけてきた能力でもあります。
打率を上げるためのテクニックなのかもしれません。
相手ピッチャーの投球を予測する。それも偏見と言えば偏見です。
テストでやまをはる、とかもそうでしょう。
残念ながら、偏見が、意外と当たる場合があるのです。
偏見を使うほうが効率が良い場面があるのです。
問題は、相手が人間の場合に人権侵害の危険があること。
犯罪歴のある人と付き合わない(偏見を使う)ほうが安全面からは効率的ですが、
過去に罪を犯した人間だからといってまた悪いことをすると限らないので、
この場合は偏見を使ってはいけないのです。
あなたの「この人いじわるそう」も、たぶん、けっこう当たっているのかもしれません。急いで判断しなきゃならないときは偏見を使うのも仕方ない、しかし、じっくり吟味できる場合は偏見を使わない。
夜中に包丁持った人が家に入ってきて「強盗と決めつけるのは偏見だ」という余裕はない。
偏見は脳にインストールされた便利なアプリ、しかし人を傷つける可能性があると、自覚するのが大事ですね。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

大慈様
ご回答ありがとうございます。
喜心、老心、大心という大切な心を 
大慈様の実体験と共に教えていただき大変わかりやすかったです。
素敵な心だと思いました。
その3つの心を持ちながら人に接せられるように努めたいです。

丹下覚元様
ご回答ありがとうございます。
丹下様が仰られた様に私は人を見た後、
色々一人で考えをこねくり回して勝手な感想を抱いてました。
眼を優先させ思いを優先させない、
できるようになるには時間がかかりそうですがそう努められようになります。

願誉浄史様
ご回答ありがとうございます。
偏見は当たることもあります、でも偏見は人を傷つける、
その2つの事柄を私はしっかり認識せず、ただ自己嫌悪に落ちてました。
この出来事の本質に触れられたような気がします。

「人との距離感・付きあい方・接し方」問答一覧

どんな相手とも打ち解けられない

夫婦、家族、親族、どんな相手とも打ち解けることができません。打ち解けたいと思ったこともありますが、私が命に関わる重大な相談をした時、まじめに向き合ってくれる人はいませんでした。 ですから、そのような相手に、私の命や私の子供の命に関わることを相談された時、どうしても受け入れることができませんでした。 打ち解けてくれない、親密になってくれない、自分たちのことが嫌いに違いない、薄情だと、まわりの人からは責められます。 私はもう他人のために命を削って努力する体力、気力、愛情が持てません。いかにまわりから責められても、弁解も挽回も、しようという気概すら持てません。 まわりからは、利己的な恩知らずだと思われているようです。私は器の小さい人間なのだと思います。 私は疲れきっています。休んでも休んだ気になれず、気晴らしをしようと外に出ても、かえってグッタリしてしまいます。 誰とも会いたくないし、家に一人でじっとしている時、束の間ですが、やっとほっとした気持ちで過ごすことができます。 親類との関係はどんどん悪化していくようです。私が何もかも忘れて、何でもはいはいと従えば解決するのでしょうが、とても恐ろしくてできません。それが自分の決断に責任を持つ行為とも想えません。 まわりからは、自信をもってまわりからの期待に答えるよう努力してほしいと言われます。その善意で死に追いやられるようで、怖いのです。 私の心は恐怖でいっぱいです。きっと、自分は必要以上に怖がっているのだと、つとめて冷静に話すように心がけています。泣き叫んだり、感情的に怒鳴るようなことはありません。ただ、私はもう誰の役にも立ちそうにない、申し訳ないと伝えることが精一杯です。 とてもつらいです。遠くに逃げられたら、どんなに心が軽くなるだろうと思います。そんな余力もなく、時々一人で泣いています。 頭が働かず、うまくまとまらない文章になってしまいました。読みにくい内容で、申し訳ありません。 誰かを憎んだり、恨んだりはしたくありません。ただ、命をどうしろと言われるほど、信用できない人間に、自分の心に立ち入ってほしくないのです。あまりにも追い詰められて、つい誰かの不幸を願ってしまう自分が、とても苦しいです。 こんな気持ちを、仏教ではどのようにとらえるのでしょうか。どう考えれば、前向きになれるでしょうか。ご教授いただけたら幸いです。

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家族や他人とうまく関係を築けない

いまだに家族や他人に心を許して素直に自分のことを話せません。 小学校高学年ごろから、祖父が亡くなったことがきっかけで家族関係がくずれていったように思います。 詳しく教えてもらえませんでしたが、家族をとりまく仕事やお金関係のことでいろいろ問題があったようです。 母はストレスがたまっていたのか厳しく気難しくなり、祖母たちとの関係も悪く、一番仲がよかった妹とも激しくけんかして以来一言も口をきかなくなりました。 わたしは家族や学校の人たちともぜんぜんうまく話せなくなり、不登校になったりしました。 わたしは気難しく神経質でずっと不安定で、自分を守るためなら平気で人を傷つけるような大人になってしまいました。 その反面、何の目標も持たず、仕事もうまくいかず、やる気のないわたしは高い学費も親からだしてもらい、生活費もまかなってもらい、実家でずっと親のすねをかじって生きていました。 ここ数年で、家を出て親と距離を置いてやっとなんとか自立できるようになってきたところです。 人間関係や仕事は今もうまくいかないことが多いです。自分が認められるか不安でなにもできなくなります。 ずっと家族のことや、いままで傷つけてきた人のことを毎日思い出し、自分はどうすればよかったんだ、これからどう生きていけばいいんだと考えます。 もしあの苦しかったとき、母がもっと自分に寄り添ってくれたら、だれかが気にかけてくれたら、と思う反面、自分では何もできない自分自身にも嫌悪感があります。 ぐるぐると考え続けて苦しいです。どのように自分の過ちを償うべきでしょうか。

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初めて質問いたします。 私は大学一年生で、実家から離れ一人暮らしをしています。 現在私は、一人で過ごしたいという思いと、他人と関わらねばという思いの間で葛藤を抱えています。 自分ひとりの世界は、私にとってとても穏やかで、豊かで、幸福な時間です。 料理や家事が好きで、その他にも読書をしたり文章を書いたりと、やりたいこと、もっと極めたいことに溢れていて退屈しません。 そのうえ、たとえうまくいかないことがあっても、失敗もいつか成功の糧になるからと前向きに捉えることができます。 一方で、他人との関わりは自分のせいで悩み苦しみが絶えません。 例えば面倒なことを先送りにしてしまう悪癖のために、連絡の確認や自分の割り当てをサボり、同じサークルの仲間に迷惑をかけてしまいます。 また、話したり遊んだりしていてもどこか自分で無理をしているような感じがして、それらを心の底から楽しむことができません。 それに何か失敗すると軽蔑された、迷惑をかけたという思いが先行し、 罪悪感や自己嫌悪を引きずってしまいます。 率直な思いとしてはその方が遥かに幸せなので一人で過ごしたい。 けれどもこれから社会に出ることを考えると、人と関わっておいた方が良いであろうし、それに自分の弱い部分から逃げずに向き合いたいという思いも同時に抱えています。 私はどのような道を選ぶのが良いのでしょうか? 長々と失礼しました。ご回答よろしくお願いいたします。

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