友人が去る
最近、遊ぶ約束をしていたのにわたしが当日まで連絡をしなくてその予定が中々決まらず結局会えなかったことで友達を怒らせてしまいました。他人ともめることが嫌いなわたしは謝罪をし、相手も謝ってくれましたがそれは表だけでまだ怒っているようです。しかし、相手からは何も連絡しないにも関わらず、こっちは連絡をしたのに自分勝手と言われキレられました。腑に落ちないけど、謝罪をし大人な対応をしました。その友人はわたしの元を去っていったわけですが、友人が去る=スピリチュアル的には人生のステージが変わる合図であると調べたら書いてあったのですが本当なのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ステージというのはよくわかりませんが
スピリチュアルのお勉強はしてないので私にはよくわかりませんが、そのステージというのは物語でいう場面が変わるということでしょうか。
私たちの人生は常に変化しています。目の前にピザがあります。美味しそう。焼きたてアツアツ。食べるとなくなる。すでにステージは変わってる。もっというと、一口食べただけでも変わる。見ているだけでも一秒前とは変化している。
人生は常ではありません。縁により、変化しているのです。
お友達と離れてしまうこともある、また関係が始まることもある、新しい友達との出会いもある。そうした今の連続を振り返ると物語のようにも感じる。しかし、本当は”今”しか存在しないそのことを忘れてはなりません。
人生を物語にしすぎて、ヒロインになりすぎないよう注意してくださいね。
変化、に敏感なのね。
こんにちは。以前からの質問を読んでいたところ、「何か生活がガラッと変わること」が気になる様子。周りの「やれ就職だ、結婚だ、出産だ…」という「分かりやすい変化」を見ていて「私にも」という機運が高まっているのでしょうか。我々どうしたって日々刻々変化し続けざるを得ないのですが、「挨拶状を書くほどの変化」は、人生そんなに何度も起きません。「それが近づいてるのかも?」と望んでいるのでしょうか。
「友人が去るのは、人生次のステージが近づいている合図である」まぁ、言えなくもないでしょう。お互いの自然というか素の姿を、ちょっと受け入れなくなった。価値観がズレた。その価値観の変化が、新たな出会いに繋がった。とかね。けれど、「人生の次のステージに進みたければ、友達をひとり切りなさい」とかなったらひどいなぁ。生け贄かって。さて置き。
それを「スピリチュアル」で説明する=スピリチュアル以外には説明不可能、という所は僕にも分かりません。けれど、恐らく「ぷー」さん自身が、何か自分の生活なり立場の大変化を受け止められる、そんな準備ができていることから、この一連の質問は出てきていると感じます。