宗教の勧誘
団地に住んで一年以上たちますが、何ヶ月かに一回は新興宗教の勧誘が回ってきます。
毎回居るときは丁寧に「申し訳ありませんが、旦那が僧侶なので…お話もチラシもいただけません」とお断りしています。
それでも、「奥さんは僧侶じゃないでしょ、なら平気よ。それとも、仏教徒?」と聞かれ「はい、仏教徒です。すみません、忙しいので」とお断りしてます。
本当にしつこくて困ってます。ああいう宗教はすぐお金の話をするし、最初は優しくても、すぐ信者の勧誘をせがむし、ろくなもんではありません。
どうしてそんな変なもんに入ってしまうのか、人間弱ってる時に優しくされると弱いのはわかりますが、私からすれば行く所が間違ってると思います。
お寺さんや教会に足を運んで少し話を聞いてもらうなり、お参りに行くなりの方向になぜ行かないのかな?と思います。
私は精神的につかれた時にお参りに行って、空間と香りに癒され、開放された気分になるし、好きですけどね。
そのうち私も寺婦になりますが、誰でも気軽にあがれるアットホームな空間作りが出来たらと思います。
たまに物貰いもきます(笑)そういう方はお断りしますが、若い人も気軽に来れるようになればと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お寺にもきますよ
宗教の勧誘はお寺にもきますよ。
もちろんお断りします^ ^
お寺の敷居を低くし、たくさんの人が気軽に来れる場所にしたいと思う気持ちは、素晴らしいと思います。
しかし、現実にはまだまだ布教活動が足らず、お経をあげるときだけの場所のようになってしまっている現実があります。心の拠り所となる場所になるよう、僧侶は自分を磨かなくてはいけませんね。
宗教施設について行ったことがあります。
私は昔、京都市内で、とある手かざし系の宗教の人に道端で声をかけられ、にぎやかなショッピングモールの前の歩道で、目を閉じて浄霊という手かざしの作法を受けました。
正直、何も感じませんでしたが、おもしろそうだったのでその方々について行って、宗教施設内の和室で、指導者っぽい人と勧誘役の若者二人に囲まれて話を聞きました。
3時間くらい話をしましたが、結局、私が彼らから言われたのは、「あなたは(仏教に)洗脳されている!」でした。
また、あるときは、うち(お寺)にモルモン教の自転車に乗った外国人2人組の長老(といっても二十代前半の若者)が訪ねてきて、私はその日から何度か、彼らの教会に足を運んで「レッスン」と呼ばれる説教とお祈りを受けました。
青い眼の長老達はつたない日本語で説明してくれて、悪い印象はありませんでした。
彼らはお酒もカフェインもとりませんから、日本に来て麦茶を知って喜んでいました。
教会には日本人の信者も数人いました。
私が仏教の業報輪廻について彼らに話したら、
若い長老から「誰が罪の重さを判定して輪廻させますか?神様ではありませんか?」と言われ、
私は、なるほど、こういう思考方法なのかと感心しました。
私には、どちらの教えも、お釈迦様の教えに比べると物足りない感じがしました。
ただ、彼らの布教テクニックのノウハウには感心しました。
私も仏教を知らなかったら、なんとなく良い教えに感じてしまった可能性はあります。
質問者からのお礼
お寺のイメージっていまだにお葬式、お墓、お坊さん。何ですよね。
近寄りがたい、敷居が高いのでしょうね。