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自意識が邪魔です

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今日、休みで色々考えていました。
最近、すごく窮屈さを感じていました。
自分が決めた自分の行動の指針や自己イメージ、自己評価、そんなものに自分をはめ込みすぎているのではないかと思いました。
私はこうゆう人、または、私なんだからこうあるべき、とかそうゆうことです。

自意識過剰という言葉がありますが、私はそうなんではないかと思ったんです。
ただ、これがなくて、なんにも考えずに生きたらだらしない生き方になりそつで嫌です…


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それらは全て考え方の話です。

ご自分の考えを最優先しているから、そのようなことになります。ご自分の価値観で物事を判断すれば、悩みは出てくるでしょう。人と比較すれば劣等感を抱くでしょう。そういうものです。

自我を捨てることは、事実を見ることです。考え事をしていると、自分が今何をしているのかわからないことがありませんか。
自我つまり考えを優先することをやめ、事実目の前のことに徹していたら、だらしない生活にはなりません。靴を脱いだら揃える。当たり前のようで、意識が他へいき、考えを優先していると、脱ぎっぱなし。

目の前のことを我見を加えずに、見て生活することで、少し違った生活ができるのではないでしょうか。だらしなさは一切ないでしょう。ボーッと過ごすこととは違うと思いますよ。

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おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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行(ぎょう)にお任せする生き方

『ダンマパダ』というお経の中で、お釈迦さまは「治水をする人が水の流れを整えるように、仏教徒は自分を調えなさい」とおっしゃっています。治水をする人のように?どういう風にでしょう???

これは水の流れを整えようとするなら、水そのものをバシャバシャするのではなく、水の流れ道を作ってあげましょうということです。例えば木の板でU字の溝を作ってみたり、パイプやホースを繋いでみたり、そういうことです。

じゃあ真魚月さまの場合はどうでしょう?ご質問の要点は、仏教的には「いかに心を調えるか」ということになります。そしてお休み期間中に色々お考えになった…これは心を調えるために頭や心で考えていらっしゃったということになります。つまり水の流れを整えようとするのに、水そのものをバシャバシャしていたのと同じだと言えます。ここがお悩みの原泉だと思いますよ。早い話が蛇口からドンドン出てくる水を手で押さえてフンガーしても四方八方に飛び散ってしまいますよということです。

ではどうするか?行(ぎょう)で調えるのです。仏教は人の行動原理を身(しん)・口(く)・意(い)の三つに分類します。心は意に当たりますので、今の真魚月さまに必要なのは身や口の行ですね。身なら坐禅や写経、口なら読経や念仏などが当たります。坐禅会の参加者さんがよく「なぜか分からないけど、なんかいい感じがします」と言ってお帰りになるのですが、身体や言葉の行が調ったから、心の流れ道が調い、なんだか気持ちが楽になったということなのです。

一度、坐禅会やブチ修行に参加してみてはいかがでしょうか?そしてそこで感じた感覚で日常生活をしてみて下さい。

行が調っていれば何も考えなくともダラダラしているとは言えませんよ。むしろ坐禅や食事どころか睡眠、洗面歯みがき、排泄にいたるまで修行にしてしまった超ストイック僧侶・道元禅師がそうしなさいとおっしゃっていますから大丈夫です。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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自分を変えるにはエネルギー(勇気)が要る

お経に出てくる、阿弥陀仏が建てた極楽浄土という世界の住人は、
姿形が全員そっくりで金色に輝いており、
その住人たちには、自分と他人を区別する感覚がないそうです。
もしかしたら、極楽浄土では常にある種の精神統一(三昧、禅定)状態で、自分と他人の境界線さえなくなっているのかもしれません。
では、極楽浄土の住人達はだらしない生活なのかというと、そういうわけでもなく、仏道修行に励み、毎朝、他の世界に飛んで行って、多数の仏様達にお花をお供えしてから極楽に帰還するのを日課としているらしいです。
つまり、プライドの煩悩を停止させたとしても、やるべきことをやるという行動は可能なのです。
仏教的には、やるべきこととは、たとえば、慈(いつくしみ)・悲(あわれみ)・喜(他人の幸せを喜ぶ)・捨(執着を捨てる)の四つの心(四無量心)を育てる生活、などです。
自分を変えるのには勇気が要りますね。エネルギーが要りますね。
(悪い方へ堕落する変化は除く。)
自分を型にはめてしまったほうが手抜きができる場合もあります。
しかし、仏教的には、四無量心を育てるように自分を積極的に変えていくほうが善いし、
善い人間に変わる分には、周囲から「あいつ変わったな」と思われたって悪いことではないのです。
(たぶん浄土から仏様も守ってくれます。)

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

邦人さま
願誉淨史さま
大慈さま
ご丁寧な回答をありがとうございました。お礼が遅くなりました失礼をおゆるしください。
いただいたご回答はどれも心に響くものでございました。
なにしろ何をしていても、あーでもないこーでもないと考えていることが多く、それこそ心ここにあらずなんです。
目の前に起きていること、与えられた仕事に集中していれば、自分っていったいとか、私ってこうゆう人とか自分にまつわることを考えている余裕ありませんね。
心を整えることは自分の心なのになかなか難しいですが…この自分の心という概念がそもそも違うのか…とか考えてしまったり…。
頭でなく、何かをやってみることで心を整えることをやってみようと思います。
皆様本当にありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ