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フェイスブックの管理人です。老牧師への対応に困っています。

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Facebookで「花と自然と癒しのコミュニティ」という小さなグループの管理人を勤めております。

メンバーは仏教者・クリスチャン・ノン宗教など様々です。

コミュニティの規約で政治・宗教の話題は禁止しておりますが、一人70代の女性牧師さんがいて手を焼いております。

ことあれば、神が造り主だの神のお恵みをとか、平気で発言しています。
やんわりといさめたものの逆に「あなたは神を信じないのですか?」と逆襲されました。

私は特定の宗派・宗旨にはこだわりませんが、仏教の信徒のつもりでおります。しかし、当該コミュニティではお盆やお彼岸等の一般習俗としての発言は認めておりますが、一切、宗教の話はしておりません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

宗教思想のを「壁」を超えた関わりこそ、真の宗教性。

私は正直世間でいう処の「宗教」という感覚でいません。
そういう、いわゆる宗教宗教したところって、思想のニオイがぷんぷんして、手を取り合えない人たちもおられます。
時々、自分の宗教の色を出し過ぎる方、居られますね。
私は、本当の宗教性とはそういう宗教宗教したものではないと思っています。
お互い排他的であってもいけないとも思っています。
だから、私は入信こそしませんが、創価学会の教授クラスのママさんがやっている喫茶店にいって時々宗教談話もします。
コーヒーは誰が飲んでも、どんな宗教宗派の人が載んだからって味が変わる事はありません。
コンビニやスーパーは誰でも受け入れるからです。
ある種宗教宗教した人より度量がある。
そういう心の広さこそ宗教という小さな壁を超えた本当の宗教心です。
前者は宗教思想、といった方がより適切ですが、管理人であるあなたにそういう広い心を持ってもらいたいと思います。みな人間を肩書きで観る。
肩書きやら、宗教宗派の前に、人間。眼あり、耳あり、鼻あり、口あり。
隔てなく、それをその通りに受け入れる。
質問者様を始め、世界中の人が、外側のラベル、肩書き上の宗教宗派のへだてを問題にせず、内なる世界共通の宗教性=目耳鼻口身という何も隔ての無い真の宗教性を具した心身に目覚めてもらいたいものです。
▲お茶は誰の口にでも入る。私は〇〇教だから飲めない、というのは宗教ではなく思想なのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

ブロックすることも視野に入れて

貞太郎さん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺、観音寺の中村太釈です。

Facebookでコミュニティーを持っておられるとのこと。参加者に手を焼いておられるのですね。

コミュニティーを形成する時はルールがあります。貞太郎さんのコミュニティーでは、宗教の話題をしないというルールがありますね。ルールに従えない人はコミュニティーに入ることができないようブロックすることも考えてください。

これは他のコミュニティーメンバーに対しての礼儀です。

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徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ