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息子の不登校に悩んでいます。

回答数回答 3
有り難し有り難し 22

中学一年の息子が6月から学校に行きたがらなくなりました。
なんとか週に3日学校に通っていたのですが、
先週よりとてもつらそうになり昨日とうとう泣き出してしまいました。

夏休みに家族で精いっぱいのことをして
2学期を迎えたのですが、
1ヶ月を過ぎた今行けなくなってしまったようです。

原因ははっきりわかりませんが、
学校と彼のペースや感性が合わないことだと思います。

今回泣き出してしまったのは、
不登校をお友達に何か言われてしまったのではないかと思います。
もちろん息子は何も言いません。

私なりに精いっぱい努力をしたのですが、次から次に起きる問題に
本当につらい気持ちになりました。
夫も弟も息子に寄り添って少しでも良くなってくれたらと行動してくれいます。

何かアドバイスをしていただけたらありがたいです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

できることをやればよい

すでにご存じとは思いますが、フリースクールや児童センターのような、学校以外でも義務教育の代わりになる機関はあるでしょうから、学校行くか行かないかの閉じられた2択の世界に限定せず、広い視野で考えてみてはいかがでしょうか。
できないこと、できていないことに目を向けてしまいがちですが、できること、できていることを認めてあげるのが大事です。
プライドの煩悩(自分で自分をすばらしいと思いたい)は、誰にでもあります。
息子さんの自尊心を押し潰すことのないよう、支えてあげるのが大事ですね。
これは、息子さんだけでなく、ご家族についてもそうだと思います。
息子さんの問題が発端で親として自信をなくす恐れもありますが、今までお子さんを育て守ってこられたことだけでも大変な苦労を乗り越えてきたのだから、ご夫婦で互いに誉めあっていただきたいと思います。
人生、どうせできることしかできないんですから、できることをやればよいのです。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

戦場に行かせない

学校は場所によっては戦場です。
本当に行かなかった方が人生幸せであった学生さんは沢山います。
これは、プラスに考えましょう。
あの学校は合わなかった。早期に分かってよかった。
じゃぁ、次はもっとおおらかな所にしよう、と親がまず諦めることです。
そんなところいかせなくていいのです。
学校によって人間の資質が決まる訳ではありません。
子供の人生は、彼の人生。
ですが、イヤな事をする人とのかかわりは、本人が嫌なら関わらせない事。
多分、親御さんも降りてきていないと思います。子供が話したがらないならば、まずは親子関係です。親子の関係を今日限りやめて、親ヅラスランスから、友達目線で同等に接して、よきアドバイザーとなることです。
ぶっちゃけばなしを沢山して、立場で関わらない事。
そこで本音を聞きだせるようになってください。
なんでしたら、親子でお寺に相談に来てください。お近くでもいいでしょうが。
親は「こうしてほしい」という事がある。
子はそんな表面的な事より、生き死にに関わっているもっと大変なことが起きている。
そういう時に、親の常識や正義論をぶつけずに、お子さんの尊厳を奪おうとするものから、守ってあげることを最優先にしてあげてください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

無理をせずに

eddyさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺、観音寺の中村太釈です。

息子さんの不登校で悩んでおられるのですね。

私は、無理に学校に行かせようとしないほうがいいと考えます。なぜなら、eddyさんが息子さんが閉ざした心をこじ開けて、学校に行けない理由を探そうとすると彼の心が壊れてしまうからです。

息子さんが泣いてしまったのは、学校に行けない自分の不甲斐なさと、どうしても学校に行きたくない理由の狭間でどうしたらよいのか分からなくなったからではないかと推察します。

時間が解決してくれることもあります。同じ悩みを持つコミュニティーもあるでしょう。eddyさんが壊れてしまわないよう、息子さんを見守ってあげてください。

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有り難し
おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

質問者からのお礼

早速回答をいただき温かい気持ちになりました。本当にありがとうございます。
今日も家で勉強しています。
毎日辛いですが、優しいお言葉を励みに日々大切に生きていきたいと思います。
心から感謝しています。息子の明るい未来を信じて。

今日さらにありがたいお言葉をいただきました。本当にありがとうございました。
今日もまた息子は休んでいます。皆様のアドバイスを大事にしながら
毎日息子と充実した日々を過ごしていきたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ