心に溢れる憎しみについて・・・
初めまして
高校卒業後、就職に失敗して大学に入りなおしましたが人間関係トラブルで辞めざるを得ない状況になり来年、別の大学を受験します。
就職時での面接官の言動、就職失敗による周囲の人間の対応の変化、大学での人間トラブル等々、心をえぐられたような経験をしました
そして、大学を辞めざるを得ず再受験するという自分の能力不足への自己嫌悪・・・
このように思うように人生がいかないからか、昔よりも心に憎しみが溢れるようになってしまいました。
現実の人間を憎しみ、嫉妬心を感じ、さらには縁もゆかりもないネット上の人間にすら同じ思いを抱いてしまいます。
心が憎しみで溢れるにつれ、私の思考や言動もどんどん荒くなり、それにより自己嫌悪するという悪循環
このままではいけない、と思い小さいときから親しみを感じていた仏教の教えにすがろうとこのサイトまでたどり着いた次第です。。
私の心に溢れる憎しみ、どうすればよいでしょうか?
たくさんのお坊さんからの回答を頂きたいです。
拙く、長い文章、失礼しました
よろしくお願いします
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私は自分の不始末を責任転嫁して生きていますが
私は失敗も数多く、それを自分の責任だとは思えなくて、他者に責任転嫁して生きています。
そんな私ですが、やはり坊さんですから他者との出会いにより正しい道を指し示されています。よかったらまず、
http://bukkyotozen.blog.eonet.jp/default/2013/01/9-ce4a.html
を読んでいただけませんか。私はよそのお寺でご法話をさせていただくこともたまにあります。その際、いつもこれを拝読させていただいています。感じるところはありますか。私は拝読しながら、自然と涙がこぼれて正常には読めなくなることも多いです。
次にもしよければ、
http://www.mobilkubota.com/manabi/264.html
を読んでみてください。
人生、無駄なことなんてないのでしょう。私はこんなふうに生きているわけではないのですが、こうした方々の生き方に触れることができたことを心から喜びたいと思っています。
人間力
大学や就職先で嫌な思いをされたのでしょう。
確かに、就職するには知識や技術も必要ですが、それだけでは会社は成り立ちません。
なぜなら、それをこなすのは人だからです。
人同士の結びつきが会社という組織を作り、それが顧客という人たちとの繋がりを生む中で一つの社会を形成しているのです。
需要も供給も、全ての末端には必ず人がいて、人同士の関わり合いが全てのものを作り上げています。
言うなれば、この社会全体が人間関係で出来上がっているとも言えます。
ノーベル賞を取るような学者さんでも、その周りにいる人たちの協力があるからこそ偉業を成し遂げられるのです。
だからといって、そんな偉人でも順風な人間関係ばかりを持っている訳ではありません。
目的ややりたいことのためには嫌なことも数多くあるはずです。
もちろん、気に入らない事や意にそぐわない事を、飲み込みながらやらなければならないとすれば、それはとても苦痛なことです。
でも、考えてみて下さい。
あなたの周りにいる人たちは、あなたが選んだ環境の中にいるのではありませんか?
あなたの周りのものごとは、それに対応するあなたの言葉や一挙手一投足で様々に変化します。
例えば、上手く仕事をこなせば誉められるでしょうし、失敗すれば叱られるでしょう。
あなたが笑顔でいれば周りも嫌な顔はしないでしょうし、あなたが不機嫌ならば周りも眉をしかめます。
そんな風に、この世は全て自分を中心に回っていると言っても過言ではないでしょう。
逆に言えば、あなたの対応の仕方如何で180度形や状況を変えられるのです。
社会で一見順風に見える人たちも、意図するしないにかかわらずそうやって人間関係を築いてきたからこそ今の位置に存在しているのです。
虫は明るいところに集まります。
人もまた光のないところには集まりません。
人の光とは、技術や知識ではなく、その人の持つ人間性、いわば人間力です。
なにも特別なことではなく、人に対してのちょっとした笑顔、態度や言葉尻、何かに取り組む姿勢や情熱といったごく普通のこと。
振り返ってみると、何か足りなかったことがあるかも知れませんよ。
大学に行くならば、またたくさんの人たちと触れ合うはずです。
今あるのは今からのあなた、昨日までのあなたはもういません。
あなたの周りは180度変わってくるかも知れませんよ。