部活動の試合
わたしはテニス部ですが、部活の試合に選手としていつも出してもらえず、本当に悩んでいます。
テニス教室にも両親にお金を払って行かせてもらっていて、一年前よりは本当に上達したとわたしは思うんですが、なかなか試合に出られません。練習のときの態度は誰よりも良いのに・・・と、いつも傷ついています。
わたしの親友が選手として出て、勝っていても全く喜べません。負けることを願ってしまいます。自分が試合に出られないからって、親友の成功を憎むのは本当に酷いですよね、こんな自分が嫌です。どうすればいいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
親友ではなく向き合うべきは自分。自分に負けない。
おはようございます。
質問文拝見しました。
遠い昔を思い出しました。
小学校のスポ少・中学・高校の部活動は教育の一環といっても、試合に勝つことで認められたり自信がついたりして、相手を負かすことが目的になっているところも少なくないかと思います。きれいごとではなく勝つための努力、勝つための執念が評価の物差しになることもあるでしょう。
そのため勝てそうな人が試合に出やすい一面はあるかもしれません。
でも急がないで。
あや様が今後もテニスを続けようと思われるのなら、、
中学・高校・大学・一般サークル・マスターズ。
大きい大会もあれば出場者がいないかと確保に奔走する大会も世の中にはあります。
今が報われないと感じることもあるかもしれませんが、
あきらめない力がある限り、今後の人生の中で一度も試合にでる機会がないというのは考えにくいです。
また、勝ち負けの場は試合の中だけではありません。
普段の練習の中でも反映されます。
試合に出ていなくても試合を観察分析することも立派な練習です。
さらなる成長を願うなら、、
キツイこといいますが親友が勝っても喜ばなくていいです。
でも結果がどうであろうが、応援はするべきです。
勝敗は実力差だけで決まるものではありません。
野球やサッカー、バスケなどのホームゲームでの勝率をあげるまでもなく
運や、体調、場の雰囲気なども大きく影響していることはご存知ですよね。
誰かを応援することは目的ではなく自分を向上させるための手段です。
応援をすることであや様が手に入れるものはあります。
親友が負けることを願っても、自分に足りない部分が補えるわけでもありません。
あとは怪我しないコンディションづくり。
才能あるのにケガをして試合に出れない人も少なくないです。
ケガをしないための練習でのひたむきさ。
まず、自分に足りないものを見つめて、それをどう補うかの戦略。
また、プロ野球の選手は年俸を時間で割って、ダッシュ一回、素振り一回がいくらの値段になるか考えて練習をしていると聞いたことがあります。
ご両親が教室にかけたお金は、今すぐに結果を求めるだけではなく将来への投資という側面もあると思います。
テニスを通じて、何を自分に補うか。
その視点は大切にしてください。
単にテニスだけに収まらない成長と可能性を念じています。
今日の自分は昨日より成長している・・・。
よくテレビなどで、有名スポーツ選手が「努力すれば(頑張ったら)夢はかなう」と言ってますね・・・。確かにその人は「夢がかなった」人です。
しかし、その裏には「夢がかなわなかった」人が何十倍何百倍もいます。みんな頑張ったのに・・・。そのことは表に出てきません。有名芸能人・タレントも一緒でしょう。
お釈迦様は、結果を問題にしません。その過程(=真面目に一生懸命やったかどうか)を問題にしています。自分が真面目に一生懸命やったのであれば、キット「よくやった」とほめて下さいます。結果はどうあれ、その間の努力は、心と身体の両方にメリット(辛抱強くなったり、より健康になったり)が出てきます。それが仏様の❝ごほうび・ご利益(りやく)❞です。結果を気にせず、他人と比べず、今日の自分は昨日より成長している、と考えながら、自分なりに頑張って下さい。小生も応援していますよ・・・。合掌