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成仏できるか

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高校二年生です。
先日私の友達が自死しました。
鬱病で最後まで苦しみ抜いての死だと思います。

助けてやれなかった自分が情けなく、胸が痛く、後悔の念でいっぱいです。
彼女がちゃんと成仏して、幸せになれることを祈っています。

そこで、亡くなった人はどうなるのか調べていると、自死した人は成仏できずにずっとこの世で苦しむという記述が多く見られました。

大好きな友達が苦しみ抜いてやっと楽になれるかと思いきや、亡くなっても苦しんでいるかと思えば耐えられません。

本当に彼女は成仏できないのでしょうか。
私にできることはないのでしょうか。
どうか回答よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

成仏できないのは、周りの方々でしょう。

まず、あなたの苦しみを除く為に申しあげるのですが、死を選んだのは彼女自身の選択された道であって、あなたの責任ではありません。
成仏という言葉を一度なくして考えていただきたい。
家族、親戚、親友、友人、みんなが辛く苦しい、悲しい思いをします。
遺された人がみな悔やまれます。
なんとかしてあげたかったけど、何もできなかった。身内はみんな自責します。
それをこそ「成仏できないような気持ち」とこそいうべきです。
今まで育ててきた親御さん、親友としての深いかかわりも何も報われもしない。
自死者の死は、本人の自死によってそこで完結してしまいます。
死んでしまったのだから、本人は知る由もない。
ですが、周りの方々、とくに親御さん、そして友人であるあなたが心に深い悲しみや、傷を負います。
多くの人を哀しみに巻き込みます。
周りのみんなを成仏、安らぎとは程遠い心に導く、誰も救われない行為です。
そういうのを成仏でいないというのであって、死者がどこかでさまよっている訳ではないでしょう。
私は僧です。
あなたが生きながらに成仏したければ、彼女への気持と共に、あなたがこの世で本当に成仏する方法を知っています。
それは、仏陀が会得された無私、無我の心に至り、彼女への思いも無私、無我になることですが、そうなるためには、あなたが本当に救われたいと願わなければ変わりません。
本当に成仏をするとは、あなたが成仏をすることです。
彼女が成仏できていないのではないかと思うのはあなたの心内だからです。
いつか本当に自身も生きながらに成仏したいと思われたら、各地の善知識、僧を尋ねてみてください。ハッキリしなければ当山へお越しいただくか、お電話ください。

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

御供養について

とり様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度のお友達の自死・・誠におつらいことでございます・・

私たちにはできることとできないことがあり、時にどうしょうもできないことがございます・・どうかあまりご自身をお責めになられませんようにお願い申し上げます。

「本当に彼女は成仏できないのでしょうか。」・・成仏できるかどうかは、そのための因縁(原因と条件)次第となります。因縁次第において成仏は可能なこととなります。ですので決して成仏できないというわけではないのだとご理解して下さいませ。

「私にできることはないのでしょうか。」・・ ございます。それが御供養となります。御供養は、亡くなられた方の成仏のための善き因縁へと向けた僅かながらにでも助けとすることができます。

「彼女がちゃんと成仏して、幸せになれることを祈っています。」・・誠にこの真摯で慈愛なる純粋なお気持ちこそが御供養において大切なことであると存じております。

お墓参りや読経・回向、あるいは布施・寄付、善徳行などの追善、色々な御供養のカタチがございますが、何よりも、その真摯で純粋な祈りのお気持ちを向けられることが最も大きな力になるのではないかと存じます。

それも、もちろん毎日でなくて構いませんし、義務でもありませんし、負担になってもいけません。ふとした時に、その純粋な祈りを友達へと向けてあげて下さい。それだけでも成仏へと向けた助けとすることができるのではないかと存じております。

また、色々と難しいことも書いてございますが、以下の自殺や死後についての各問いへの拙回答も少しくご参考にして頂けましたらと存じます。

「自殺・自死について」
http://goo.gl/3ZbZUr

「死後について」
http://goo.gl/ejLMq3

拙生もそのお友達の成仏のための善き因縁へと向けた祈りをここにて表させて頂きます。どうか御仏のお慈悲のご加護のもと、お安らかでありますように。確かなるご仏道のご成就へと向けた歩みがありますように。

川口英俊 合掌

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