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夫の顔が怖い

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有り難し有り難し 41

普段から機嫌を損ねないように会話の中でも言葉を選んだり、子供達もわがまま言わずにいい子を演じています。
ただ、思春期を迎えた次女がどうしても反抗的な態度を取ってしまう、それは考慮してほしいと伝えていたけど、私の真似をしてる、俺はもう叱らないからお前がしつけろ、悪い時はお前をしかり飛ばすからな!と言われました。
都合悪くなったら口を閉ざすところも悪いって言われたけど、夫の狂気に満ちたギラギラした目つきが怖くて怖くて、とても意見を言えない。
何をそんなに不満に思うのか、別人のような顔でまくし立てて、そんな父親にますます子供達は距離を取りたがるばかりです。
どんなに嫌な思いをしても子供に父親の悪口は言わずやって来てたけど、子供共々夜中に家から出て行けと言われて近所を徘徊した事があり、子供の記憶に強く残っています。その時からなんとなく「パパに怒られるよ」と言うようになりました。

突然スイッチが入ったように怒りだし、その時は瞬きせずに目玉をひんむいて怖いです。
何か取り憑いてるのか?

全てを捨てて子供達と逃げようかと考えるけど、私の家族に迷惑かけたくない。夫は私の家族さえも嫌っています。
職場では自分は嫌われていると言ってました。そんな変な人ではないはずなのにどうしたのかな?とも感じています。

夫は今孤独を感じてると思う。家でも職場でも殻にこもってる。それを取り払うのも自分次第なのに、他人の意見を聞き入れないおかしな状態です。

どう接したらいいのか、私も夫に対して壁を作ってしまってるのか、心をほぐす方法を教えてください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

男尊女卑ダンナへの処方箋

一度、あなたたちから手紙を置いて捨ててしまうことです。
家というのは社会ルールよりもえぐいルールがあります。
表に出て公の場に照らされないとどんな邪悪でも家庭の中では一番力の強い人の正義になってしまうのです。
北朝鮮やアメリカが核を保有したり、軍事を強くするのは、他の国に対して言うことを聞かそうという自分ルールを押し付けやすいための環境を整えている面があります。
そんなことは誰も賛同しません。
旦那さんは自分が家の頂点に君臨したいのでしょう。
自分が一番偉い立場でありたいというチョト古風な大正昭和思考。
非常に封建的です。
そういうルールはこのご時世通用しないよ、ということをご実家に帰られるなどして旦那さんがとっている姿勢が妻にとっても子供たちにとっても喜ばしいものではないこと、だれも幸せになれないことであるということをご本人に理解してもらう必要があります。
あなたたちへの愛が強いか。
自分が自分のルールをしいて偉そうにすることが優先されるか。
それを見極める必要があるのではないでしょうか。
無理に耐えてあなたがすり減っていくのは得策ではありません。
男女、夫婦はフェアであるべきです。
人間は相手を思い通りにはできないのだということを教育する必要があるのです。
教育は大人になっても必要なのです。
あなたは別に間違っていません。
自分が虐げられた人生を歩みつづけるよりは、本当に真剣に旦那さんと向き合ってみる価値はあると思います。
家を飛び出さずとも、真剣に男尊女卑について、夫婦の平等について、できれば第三者を交えてお話しされることをお勧めします。
明るみに照らされることがないからこそ、いじめやDV,モラハラは起こるのです。
明るみに照らされながら悪さをする人はいません。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下さんありがとうございました。

(何もありませんように)と祈る毎日に嫌気がさしました。
話し合いくらいじゃまた責められて終わりそうなので、
子供を連れて家出します。
すぐ帰ってきます。学校も部活も仕事も大事だから、
家出してやったーーーーって、自分自身を変えてみます。

夫は自分に甘い。何かのせいにばかりする。
いつか「間違ってるよ」と言ってあげれるように自分が変わります。

どうか彼が、全ては自分自身が引き起こした事だとわかる日が来ますように。

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