過去への後悔からどうしても抜けられません
やってしまったものはしょうがないと割り切ることもできず、思い出すきっかけになってしまうものはそこらじゅうに存在していて。
過去、おそらく世間一般で見れば自分の価値を下げるようことをしてしまったことがあります。
大切な人には打ち明けてしまいましたが、大層悲しませました。
そのことで一気に自分が許せなくなり、そのことをしてしまったことに大きな後悔を抱くようになりました。
家族に知られたらきっともっと悲しみますし、友人にバレてしまったら、きっと軽蔑されるでしょう。
きっと一生ついてまわる後ろめたさなんだと思います。いまはどうしてそんなことをしてしまったのか、他に方法があったのに楽をして、と自分を責めることでいっぱいです。
この後ろめたさ、後悔、やるせなさ、過去への恐怖といったぐちゃぐちゃの感情と、一体どう向き合えば良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それを背負って生きていくしかありません。
それを背負って生きていくしかありません。
それも、今のあなたに繋がっているのですから。
生きていれば、いろんなことがあります。起きます。起こしてしまいます。反省して、後悔して、怯えて、法律上問題はなくても、人間は多くの罪を重ねて生きています。そうするしか生きていけないのが、人間です。でもそのたびに、学び悔い改め、喜びの人生にしていこうと誓い、励むのです。そうでないと成長はありませんし、生きる意味を見失ってしまいます。
あなたの過去に何があったか知りませんが、過ぎた時間は戻せません。後ろめたさや、後悔の先に、幸せを見るのであれば、今しっかり自身を責めることも大事です。
ただね、どんな罪深い者でも、苦悩を抱え生きるいのちを、救わずにはおれんと願ってくださっている仏さまがいます。私は、仏様(阿弥陀さま)に いつも支えられています。仏法は、そんな愚かな我が身に気づかせてくださり、正しい道へと導いていく法です。
今しっかりと自身を見つめ直し、仏さまを頼りましょう。あなたの罪も、きっと受け止めてくださることでしょう。
それでも、自分が恐ろしく思うときには、メールでも構いません、打ち明けてください、一緒に考えていきましょう。
私もそばに、繋がっていますよ。
向きあう必要はありません。1回寝転びましょう。
庭に花があると安らぎます。良いお名前ですね。
初めまして。本多清寛と申します。
にわのはなさんがお知りにになりたいのは
>ぐちゃぐちゃの感情と、一体どう向き合えば良いのでしょうか?
への答えだと思います。
私の答えは「感情に向きあっても答えは出ない」です。
なんか冷たいですね。すいません・・・。
というのも、感情というのは勝手に湧き起こるもので、向きあうようなものではないからです。例えるなら、巨大な扇風機からの暴風を手で止めようとするようなものです。防災センターにあるような扇風機からは台風を超える風がきます。それを風に向きあって止めようとすると、送電が止まるまで風を受け続けることになるでしょう。風に向きあわず、横にそれてしまえばスイッチの所へたどり着きます。
今のにわのはなさんは、暴風の前に立っているのと同じです。目の前にいたら、髪が振り乱れて落ち着いて考えることもできません。ですから、暴風(後悔・やるせなさ・過去への恐怖)から一度離れることをオススメします。そうすればスイッチも見つかるかもしれません。
具体的な例を出すと、性風俗で働いていた女性の悩みと似ている気がします。性風俗に勤めると、何故か自分の価値を下げているといった軽蔑に出会うようです。私にはよく分かりません。サービスによって救われた方もいらっしゃいますし、逆に騙されてどん底に落ちてしまう方もいます。これは性風俗が悪いわけではなく、騙すという行動が悪いのです。
問題はどういった働き方をしていたかで、お客さんを騙すような働きをしていれば、反省したほうがいいでしょう。逆に、お客さんを癒やすような働きをしていれば、誇ってもいいことでしょう。性風俗に関しては誤解が多いので、人に伝えないほうが面倒くさくないという程度の話です。
質問の中に「大切な人には打ち明けてしまいましたが、大層悲しませました。」とあります。それは、にわのはなさんが悲しんでいたからこそだと思います。
まずは、自分が自分を許せるかどうかです。なんの後悔もなく生きている人より、後悔を抱えて生きている人の方が、深く人生を考えられます。その機会が訪れていることはとても良いことです。ここで悩むことは、必ず良い人生に変わるきっかけになります。だから絶対に大丈夫ですよ。
本多清寛
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
一旦、懺悔をしたら落ち着いてその思考から離れようと思います。
自責の念から離れることで、また過ちを繰り返してしまうのではないかという不安もあったんだと思います。
しっかり生きたいです。