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人見知りが酷く、どうしたらいいか分かりません…

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私には年の離れた兄2人姉1人がいるのですが…
長男は私が小学校低学年の時に家を出て一人暮らしをして以来あまり家に帰って来ず、数年後そのまま結婚して今では奥さんの実家に住んでいます。

兄は結婚してから1ヶ月に1回ほど家に奥さんを連れて遊びに帰ってくるようになったんですが…
昔から極度の人見知りだった私は小さい頃からの思い出が少ししか記憶にない兄にまで人見知りしてしまい、兄に電話やメールをすることさえも涙目になるくらい苦手で、何度か姉を通して連絡をしたこともあります。

兄は私が小さい頃すごく可愛がってくれたそうなんですが、当時幼かったので私の記憶にはそれがあまりなく、兄の目を見て話せないし正直話すのも苦手なほど人見知りをしてしまいます。

他の家族にはそんな事はないし、むしろ仲が良いです。
家族に相談したらそんなことを言ったら兄が泣いてしまう…と苦笑いをされました。

私も実の兄に人見知りしてしまう自分を変えたいのですが、兄を前にするといつも自分から話しかけられず、なかなか口を開けず、テレビを見たり携帯で遊んだりしてしまいます。

兄の事は嫌いではありません、ただ人見知りをしてしまうんです…
どうしたら兄と距離を縮めて他の家族と同じ様に接することができるでしょうか?

アドバイスよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

二人で居ながら 独りで話さない

本当にその人と仲良くなろうと思ったら、じっくり一緒にいることです。
話さなくてもいるだけで何となく親近感がわきます。
黙っていても人間は、いろんな情報をそこで集めているのです。
人見知りの原因は、相手を観ていない事。相手を見ずに自分の中のことを相手にしているからリアルタイムの相手と話せないのです。
ああ、これは人見知りをしているのではなくて、私が自分で一人で話をしていただけだったたんだと思ってみましょう。
たとえば、今そこに誰かいませんか?
誰かいたら、その人と話す前に、自分をみてみてください。
かならず内なる自分がそこに現われるはずです。
その人に対するイメージや思い。
自分の中であれこれ『よそおい』が起こるはずです。
いつもあなたはそっちを相手にしているからいけないのだと思います。
その人(自分)をあまり相手にせず、いきなり、直接、その人と接してみてください。
私がいた修行道場には節分に芸能人が来るのですが接客で話しかける時、その前に自分とやり取りしてしまうと話しかけると緊張してしまいました。
それは相手と話していないのです。
間髪入れず といいますように 潔く そこに自分というもの一ミリも交えずに接してみてください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

その気持ちを知ったら

お兄さんは喜ぶと思います。
お兄さんと仲良くなりたい。人見知りしたくない。そんな気持ちを素直に表現できれば良いのですよね。
あなたはもしかしたら、お兄さんに対して、偏見を持っている部分があるかもしれません。
決め付けでお兄さんを見ているかもしれません。
過去のことや今までの言動などから現実にイメージを付け足し、妄想しているかもしれません。

素直にお兄さんをそのまま見て、そのままの気持ちで接する子事ができるといいと思います。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

アドバイスありがとうございました。
今度兄が家に来た時は素直に正直に他の家族と同じ様に話してみたいと思います。
本当にありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ