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日本にも武僧は居られるのでしょうか?

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スポーツをしていると動作の中にも計り知れない仏様が宿った様な瞬間を感じる時があります。

中国などに大勢で武術の鍛錬をしながら僧侶として過ごされている方が居られるそうですが、この様な武僧の方々は今の日本にも居られるのでしょうか?

或いは日本では様々な武道が発達し、武術修練を通じた自己形成の受け皿として機能したからその様なお坊様は現存していないのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

武僧を名乗る人にはお会いした事はありませんが…

はじめまして。シマダイッセイと申します。お返事を致します

先ず武僧というのは、少林寺における少林寺拳法の師範ような人をお考えでしょうか?
もしそうであれば、現在の日本では、少林寺拳法はお寺より専門の道場で教導されていることが多いです

ただ、たとえ武術に長けていても、お坊さんが自分から「武僧」を名乗る事はありませんし、
お寺の役職としても武僧はありません

もちろん、お坊さんがお寺の堂宇を一般に開放して拳法や空手の教室を開くこともありますし、お坊さん自身が身体を鍛えるために武術を習う事もあります

「健全な肉体に、健康な精神は宿る」という言葉を思いだいますね!

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有り難し
おきもち

嶋田一成
副住職をしています 敬称略で「いっせいさん」と呼んでください。 カ...
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拝読させて頂きました。
少林寺拳法様も宗教法人ですからそちらでは武僧の方はおられると思いますよ。
少林寺さんでは「拳禅一如」ですからね。

心身ともに鍛えていく事が少林寺さんの修行の道ですからね。

因みに私は昔少林寺拳法の道場に通っていて確か二段まで取りました。ですから有段者です。
因みに今は全くやっていません。
浄土宗僧侶ですから体は鍛えていませんね。
あしからず。合掌

再度拝読させて頂きました。
以前の中国では宗教者が自己鍛錬しながらそれぞれに社会や政治的な活動も率先しておりました。革命を起こしてしまう宗教者もいましたから宗教者自体の社会的地位も違うのかと思います。
いずれにせよ宗教者は社会的地位もありますから、率先して規範を示すことは必要かと思いますね。
精進致しましょう。合掌

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

* シマダイッセイ様、はじめまして。ご回答ありがとうございます。

中国の少林寺については映画やメディアなどで少し知った位なのでありますが、ふと日本にもこういう修行はあるのだろうかと気になってしまった次第です。

現在の日本では個人の修養として嗜む事はあってもお寺としてそういう事をやっているケースは無いのですね、喉に引っかかっていた小骨が取れたようです。

腕立て伏せ30回分の感謝で一杯です!
なんとなく信仰として鍛えている方の気持ちはこんな感じなのかなと思いました。
回数は微妙に少ないですがどうかご容赦ください(笑)。

* kousyo Kuuyo Azuma様、はじめまして。ご回答ありがとうございます。

自分自身は少林寺拳法の経験は無いのでありますが、なぜか人生の要所要所で少林寺拳法ご出身の皆様と出会う機会があって感慨深いものを感じます。

皆様、真面目で正義感をお持ちの方が多かったと記憶しています。
武術は若い頃は良いのですが体が丈夫で無いとあちこちを痛めてしまうので自分も今はご無沙汰していますが、様々な出自と様々な自分探しの最中にある人々が集って修行を行う武術鍛錬の場には独特の雰囲気がある様に感じました。

これはあくまでもただの想像でありますが、宗教行為と武術が結合した形態があったとしても相性は意外に悪くないのかも知れません。

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YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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