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虚空蔵菩薩

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有り難し有り難し 19

試験が終わりました。ありがとうございました。
まだ勉強は続きます。

虚空蔵菩薩様 この菩薩様の事を教えてください。
虚空蔵菩薩様で有名なお寺等あれば教えてください。
また良いサイトや本があれば教えてください。

まだ名前だけ知っている程度です。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

内なる虚空蔵菩薩

世間の仏像事典に書かれているような事は、虚空蔵と検索すれば山ほど出てくるでしょう。
仏像事典などは本によって解釈も解説も違いますし、後付け、後からの理由付け、こじつけもあると感じます。
それよりも、ここを通して内なる虚空蔵菩薩に相見されることをお勧めします。
そういう虚空蔵を知りたいと欲している方もおられるでしょうから仏道の観点からお答えします。
【内なる虚空蔵の引き出し】
心を鎮めて、自分独自のものの見方なく独り静かに坐する所、自他のボーダーラインが外れてこの身、自身の中にある虚空蔵の引き出しが引き出されて天地宇宙いっぱいの無限の広がりを持つ自己になります。
小さな私から、澄み切った大空の如く、一切世界と一体となった感覚の私になるのです。
およそ人間が空や物事をみれば自分の知っている知識や言葉越しに物事を観る。
自分の頭の中という小さな世界でものをみる。
坐禅や阿字観などを通して、自分を無くするのです。
自分が無くなるという事で、はじめて大きな自分になるのです。
それがあなたが本当に虚空蔵菩薩を悟るという事です。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

空海と縁のある仏さまです

奈由さん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺、觀音寺 中村太釈です。

奈由さんは、どうして虚空蔵菩薩に興味を持っていますか?そのあたりが私にはちょっと分からないので、想像で書きます。

空海が青年のころ(16歳~20歳頃)、虚空蔵菩薩を本尊とする修行方法を教わりました。この修行が完成すると、目で見たものはたちどころに記憶し、理解することができるというものでした。青年の空海も虚空蔵菩薩を本尊とする修行にすっかり取り付かれ、大学をやめて修行生活に入ってしまいます。

室戸岬の洞窟で修行していたとき、虚空蔵菩薩の象徴である金星が空海の口に入るという不思議な体験をしました。その時に、自分の名前を目の前に広がる海と空で「空海」と名乗るようになったといわれています。

要するところ、脳を覚醒させるような知恵の仏さまとイメージしてもらえばいいのではないでしょうか。

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有り難し
おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

質問者からのお礼

ありがとうございますm(__)m
凄いと思う答えに驚きや感動もあります。

教えを頂いた事を実践まで繋げたいと考えます。
一歩 また一歩前進 する様な状態ではあります。

またこの答えを見てくださった方々が会得されるかも
興味持たれるかも知れません。
良き答え ありがとうございます。

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