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小生が前に❝テレホン法話❞でお話したものです。
【釈尊の戦争(国家)観】
釈尊ご在世の頃のお話。ある時マガタ国の阿闍世王(あじゃせおう)が隣の小国・ヴァッジ国(族)を攻め取ってもいいかどうか、お釈迦様に意見を聞いた。お釈迦様は弟子の阿難尊者(あなんそんじゃ)に次の7点を尋(たず)ねた。ヴァッジ国では、
①しばしば会議を開き、会議には大勢の人々が集まってくるかどうか。
②共同して集合し、行動しているかどうか。
③いまだ定められていないことを定めず、すでに定められた事を破らず、法に従って行動しているかどうか。
④年寄りを敬い、喜び、あがめ、もてなし、年寄りの言葉を聞いているかどうか。
⑤婦女子を暴力的に連れだし、捕え、押しとどめるようなことをしていないかどうか。
⑥神聖な場所を大事にし、ちゃんと守っているかどうか。
⑦仏道修行者や学問に励んでいる人々〈真人(しんじん)=「阿羅漢(あらかん)」〉が自由に出入りできているか、また大切にされているかどうか。
阿難尊者は「ヴァッジ国では全て守られています」と告げた。それを聞いて、お釈迦様は阿闍世王に応えた。「この7つを守っている間は、いかなる国も繁栄し、衰(おとろ)えることは決してない。逆にこれらが守られていなければ、放っておいても自ら滅び、王の手に入るであろう」と。それを聞いて、阿闍世王はヴァッジ国(族)に軍隊を送ることを止めた。
このお話は現代にも通じる、重要なヒントを与えてくれます。今、我が国の安全保障を巡って、活発に議論がなされています。私は一仏教徒として思います。〝国を守る〟とは、軍隊を強くしたり、強力な国と手を結ぶのではなく、お釈迦様の7つの教えが守られている〝愛すべき国〟になるよう努力することではないでしょうか…。政治〈政(まつりごと)〉とは〝愛国心〟を叫ぶのではなく〝愛すべき国〟にしていくことだと思います。
我が身に照らして、他を侵(おか)すことなかれ―お釈迦様の言葉より―
今の「北朝鮮」が①~⑦を実行しているかどうか・・・、次第でしょう。
「怨親平等」
ひげおやじ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
仏教は、一切の衆生済度へと向けた教えでもございますので、やはり、「怨親平等」と申しますように、皆、平等に、慈悲を向けて、憐れみ、救うべき対象であると言えるのではないだろうかと存じます。
早く北朝鮮の皆様にも平安、平穏なる幸せが参りますように、拙生もできることに努力して参りたいと存じております。
川口英俊 合掌
怒りを煽るのは良くない
北朝鮮の高官やアナウンサーのコメントは、日米などに対する怒りや憎しみを煽る内容が多いですよね。
仏教は、悩み苦しみの原因である煩悩を減らして、悩み苦しみを減らす教えです。
怒りは代表的な煩悩の一つです。
北朝鮮が国民の怒りを煽ることは、
国民の悩み苦しみストレスを増やす行為です。
怒りを手放した方が人生は快適になります。
北朝鮮に限らず、国のトップに立つ方々には、怒りを煽る言動を減らしていただきたいと思います。
宇宙から地球を観ると国境はありません。
国単位でこの問題を考えると北朝鮮は悪く見られております。しかし、ただ日本にとって一番嫌なのが、いつかミサイルが落ちるのではないかという恐怖です。パンチの寸止めもたまに当たってしまうこともあります。ミサイルを前にして仏教が通じるとはどうしても思えませんが、私が出来ることは何もないかと言えばそれもありません。私は制裁も戦争も非難も反対です。これらの事をしても一番先に被害を被るのは北朝鮮の国籍を持っている者です。
一番の対応は「ふーん。」という対応だと思います。平和とは一見つまらないと感じることですがつまらなさの繰り返しを如何に生きるか?続けるか?が平和なのです。これが真の極楽浄土かもしれませんね。
曹洞宗の公式HPです
宗務総長談話(朝鮮民主主義人民共和国の核・ミサイル実験強行に関して)
http://www.sotozen-net.or.jp/syumucyo/20170913_2.html
質問者からのお礼
コメントありがとうございます。戦後、初めての日本の安全保障上の危機だと思いますが、のぼせず、騒がず、冷静に受け止めて仏教的な境地で暮らす箏が大切なのですね。多分、これからの日本国民はいろんな選択をしなければならないでしょうが。。。まずは、北朝鮮の民に対して慈悲の気持ちで向かい合いたいを思います。