人に嫌われたくない
こんにちは、初めてご相談させていただきます
私は、人に嫌われたくない、見捨てられたくないという、思いが強いです。
普段は人の目線が気になってびくびくすることはなく、どちらかと言うと好きに行動してるのです。
しかし いざ1人になった時に、「あの瞬間、余計な一言を言ってしまった 」「 もしかして、呆れられたかもしれない」と、1人反省会をしてしまいます。それも、次回に活かす反省ではなく、嫌われたかもしれない、どうしよう、と答えの出ない後悔が頭の中でぐるぐるしています。
本当はそこまで深く考えず、もしくは効果的な反省をしたいのですが、嫌われた、どう取り返そう、どうしよう、と考えてしまいます。
しかもその相手は親しい友達だけでなく、初対面の人や、苦手な人が相手でもそう考えてしまいます。
この意味のない1人反省会はどうやって断ち切れば良いでしょうか?
どうしようもない悩みだとは思いますが、アドバイスをいただけると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人に嫌われることはしょうがない
…と知ることです。
何故なら「どうすることもできないから」です。
仏教の教えに「四苦八苦」があります。
例えば、年を取ることはイヤですがどうすることもできません。
家族が先に死んでしまうのはイヤですが、どうすることもできません。
同様に【怨憎会苦】といって、嫌いな人苦手な人がいることはイヤですが、どうすることもできません。
てことは、自分も誰かに嫌われることも致し方ないことです。
誰からも好かれるアイドルにもアンチはいます。
嫌われものにも、ファンはいるんです。
とはいえ、こんな簡単に割り切れたら苦労はないわけで。
ある僧は「マイナスの行為をしたら、プラスの行為を2つすればいいだけ」
と仰いました。
仏教の言葉を使うなら【無財の七施】をする。←ググって下さい
そうすると、失敗というマイナスのものが、
イイコトをしたキッカケというものに早変わりするわけです。
無意味な脳内反省会議より、現実で行動ですよー!
問題が起きているのか?
こんにちは。今日は台風大丈夫ですか。
さて、「答える気のない一人反省会」、よくその名前を見つけましたね。自分がやっている事を改めて言葉で捉えることは、その渦中から出る第一歩だと思いますよ。
私が想像するのは、一人反省会が始まるのは「あなたがどんな状況か」ということにつき、パターンがあるのではないかということ。要するに暇な時に、休むでもなくネットサーフィンするでもなく本を読むでもなく、反省会を開いてしまうのではないかと。
それは「実際に起きているか不明」、つまり他者からの働きかけなしなのに「…であったら」という仮定でスタートしているのではありませんか?
私からのオススメ。反省会が始まったと感知したら、「それ、仮定の演習?それとも実際に起きていること?」をよく見極めてください。前者であれば、頭を休めることをお勧めします。つまりリラックス。頭って、どうやら「日々ある程度の量を考えないとコーフンが収まらない」ような気がするのです。ワンちゃんの散歩と同じ。を音楽を聴きながら、ユックリ考えよっと」とか言いながら、音楽の方に没入しちゃったら如何でしょうか。
質問者からのお礼
日顕様
どうしよう、と思った時にどうすることもできなかったのですが、お言葉をいただき、何か良いことをすれば良い、と決めたことで心が楽になりました。ありがとうございます。
佐藤良文様
言われてみればパターン化していることに気づきました。なぜ自分は反省会をしてしまうのか、と悩んでいましたが、脳の働きのせいだから仕方がないと思うことで、切り替えていけそうです。ありがとうございます。