阿弥陀如来と馬頭明王、大威徳明王について。輪身?輪応身?
いつもお世話になっております。
諸経典に、「法身、報身、応身」「自性輪身、正法輪身、教令輪身」などと記載がありました。
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その中の、阿弥陀如来の三輪身、三輪応身(どう違う…?)について、一説には
「阿弥陀仏→文殊菩薩→大威徳明王」、
もう一説には
「阿弥陀仏→白衣観音(うろ覚えですが…)→馬頭明王」とありました。
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私の本山でも、祈願殿に馬頭観音様をお祀りしています。馬頭観音様は一説によると、
競馬場などにお祀りされて動物の供養、回向の本尊とされているそうです。
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なぜ、阿弥陀様は分岐しておられるんでしょうか。それと、「輪身」「輪応身」も違うんでしょうか。教えていただけたら幸いです。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
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そのお経はおそらく密教系だと思うので、浄土宗の私には分かりませんが、阿弥陀仏には観音菩薩と勢至菩薩という脇侍がいて、その菩薩様はいろんな姿に変わって私達を導いてくれると言われています。なので、そういう意味なのかもしれませんね。
真言宗や天台宗のお坊さんの方が詳しいかな?
三身
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
阿弥陀如来様は、主には、三身のうちの、報身仏と捉えられていることが多いですが、如来様方は、三身を具備されておいでにて、広大な仏国土にあっては、応身も現出なさられることにより、衆生の教化にあたられることもございます。
その報身、応身について具現化されたお姿が、菩薩様、明王様として、衆生の救済の役割を担われることがございます。
ですので、如来様方が、報身や応身に分岐なさられるのも、それぞれの如来様方の誓願や仏心相続によって、異なった方便を呈されて、それぞれ衆生の教化にあたられていると考えることができます。
報身や応身においても、それぞれ、衆生救済のはたらきとお考えを頂けましたらと存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
【聖章 先生】
ご回答ありがとうございます。
はい。密教経典の解説本でした。天台か真言かは...すみません、失念しました。(笑)
【川口 英俊 先生】
お礼が遅れてしまって申し訳ありません!すみません…報身、応身というのは、
菩薩→明王のことですか?
衆生の教化…大変失礼を承知で申し上げます!生でお姿を見たことがないのですが。
そもそも、詳しいご利益などがわかりません!これもそのうちお尋ねすることになると
思いますが、その時はどうかまた、よろしくおねがいいたします!