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人の道から外れようとしてしまう

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有り難し有り難し 96

前回は相談に回答していただき、ありがとうございました。

新たにモヤモヤを作ってしまい、ここで聞いてもらえたらと思い戻ってきました。

先日、9年ぶりに昔の知り合い(男性)と再会し、飲みに行きました。以後Aさんとします。

ただ、Aさんには来月結婚する相手がいます。
望んだ結婚ではなかったようですが。
そんなAさんと一晩共に過ごしてしまいました。
遊びである事は理解しているので、後悔はありません。

Aさんとは別れ際、お互いに落ち着いたらまた会おうと約束をしました。

自然と約束してしまいましたが、Aさんは結婚するのにそれはアウトですよね...。

私は以前、彼氏の浮気などでドロドロな状況になり心を病んで数年経ちました。

そういう事に対し、すごく嫌悪感を持っていたのに自分も同じようなことをしてる、又はしようとしているんです。

それでも、一緒に過ごした時間があまりにも楽しかったこと、そして他の人では得られない安心感、この2つを手放したくないと思ってしまうのです。

今はAさんと不倫しても良いとさえ思ってしまいます。女にだらしないので、自分が本命になりたいとかはないですが。

どんどん人の道から外れようとしてしまう自分が怖いです。
そんな時どのようにしたら良いのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

純白ウェディングドレスを汚した罪は大きい

不倫は不倫。罪は罪です。
自覚がなさそうなので申し上げます。
あなたは彼と共謀して相手の奥さんを裏切りウェディングドレスごと地獄に蹴落とした。
その秘密は誰にも言わずに地獄まで持って行く。彼とは二度と連絡も取らず会わないこと。
もしくは、彼に話して彼女の幸せのためにも結婚をやめてもらうべきです。
私が相手の女性の両親だったら、そうしてあげたいです。
ここでいくら正当化しようとしても悪いことは悪い。
☞「それでも、一緒に過ごした時間があまりにも楽しかったこと、そして他の人では得られない安心感、この2つを手放したくないと思ってしまうのです。」

目を向けるべきはそっちじゃない。
あなたは自分の傷ついた過去を彼から褒められたり、肯定されたり、抱かれることで埋めようと結婚を控えている女性のフィアンセを奪い蹴落として犠牲にした。
楽しみにしていた相手の女性の家族や親兄弟、友人も巻き込んだ。
仏教では、古来より、そういう非・人道的な生き方を餓鬼・畜生界として厳しく戒めています。
人生は自業自得。
同時にあなたは自分の人生と結婚も汚した。他人の結婚を汚して、どうしてバージンロードや純白ウェディングが成り立つでしょうか。
あなたの結婚式が迫る時、あなたのフィアンセがあなたのウェディングドレスの上で他の女とヤッてるっていう気持ちが、どんなに悲しい気持ちか味わうときが来るでしょう。彼女の立場になって考えてあげてください。
あなたは傷つきたくないから都合よく「遊び」とクールに割り切ろうとしていますが、違うでしょ。みんなやってる、と正当化したいだけ。「そう考えたいゲスい心理」が働いていることを見逃すな。軽く、安く見られただけ。人間性、女性の尊厳、品位を損ねてはいけない。
そもそも、優しい男性はあなたと「遊」んだりしません。あなたの尊厳を認めて一夜限りのお遊び&不倫の共犯地獄に巻き込ませたりしません。誰が何と言おうが、あなたは共犯者。罪の自覚をお持ちになられたほうが良いでしょう。それが人が人として人の道の踏み外さないための最後のブレーキ。
相手の女性が今、どれほど純粋な気持ちで過ごしていることでしょうか。
あなたが純白ウェディングも式も親族も何もかも全部、欲の泥でけがした自覚を持つべきです。
「遊びであることは理解しているので後悔はありません。」?
人間として一生後悔と懺悔あるのみです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

やめておいた方がいいですよ 

と言っても、関係を続けたくなっちゃうのでしょうね。むしろ言われれば言われるほど燃えちゃったり…

それでも声を大にしてやはり言います。

や め と き な さ い

言うだけ言いました。あとは自分で決めてください。突き進むなら突き進むでもいいのです。たとえ破滅的な未来(裁判沙汰など)であったとしてもその責任を引き受けられるのなら。

おそらくですが、「離れたくない気持ちが離れたくなって離れられる」ということは今の時点ではないでしょう。
だって甘美なものを体験してしまったから。だから「離れたくなくても離れる」しかないのです。

最後にお釈迦様の言葉を記しておきます。

「愛欲に駆り立てられた人々は、わなにかかった兎のように、バタバタする。束縛の絆にしばられ執着になずみ、永いあいだくりかえし苦悩を受ける。」(ダンマパダ342)

ご英断を期待申し上げます。

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個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

法覚寺/吉武文法様

またお答えいただき、ありがとうございます。
そうですね、今は「離れたくなって離れる」はないと思います。
でも自分から連絡はせず、近づかないよう心がけたいと思います。

安穏寺/丹下覚元様

丹下覚元様のおっしゃることは正しいと思います。普通だったら。

Aさんのお相手は、私とAさんが再会するより前に、気持ちがなくなったとお相手の方からAさんを捨てました。
なのにAさんの元に戻ってきたのです。
純粋な気持ちで待ってるなんてないでしょう。
Aさんから話を聞いて、その方が悲しむ事なんて考えられませんでした。

でも、罪は罪ですものね...
自分から連絡はせず、近づかないように離れられるようにしたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ