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頭いいよね!!

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私は中学生では130人中80位で頭は良くない方だと思います。なので地域の中で県立で下の方の高校に入りました。
しかしその高校では学年で5位以内には毎回入っています。回りからは頭いいね!や天才じゃん!など言われます。でも私はこの学校だからだと思っています。
私はありがとうと言えたらいいのに、心の中で授業を聞き、テスト勉強してるからだしと思ってしまうのです。そして友達は私に頼ってきます。絶対に合っていれば答えますが、自信がなく「違うじゃん」と言われるのが嫌で、間違ったら恥ずかしいと思ってしまう私は『私に聞かないで』と思ってしまいストレスがたまります。
本当はもっと元気で明るかったのですが、高校に入りクールで静かで頼られる私になっています。本当の自分ではない気がします。

どうしたら気持ちが楽になりますか?
何でも大丈夫です。
よろしくお願いします!


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本当は一つじゃない。世の中に絶対も一つとは言い切れない。

おはようございます。
うちの息子も中学では下から数えて10番目の成績でしたが、高校での中間試験は頑張ったらしく成績よかったみたいです。
部活も運動部から文化部。
中学と高校じゃ違うキャラになってるようです。

ですが、ひまわりさんもなんとなく感じてませんか。
成績って、自分だけじゃなく周囲との比較で決まるって。
評価って絶対的なものじゃなくて実は相対的なものなんです。

僕が日頃あげているお経の中にも、光の当たる角度によって青く見えるたり、黄色に見えたり、赤に見えたり、白に見えたりするよって書かれています。
自分の中にもいろんな面があることに気づくようになって、どれが本当の自分って思っちゃいけど、どれも本当の自分なんです。

質問の答えとしては、
中学のひまわりさんも高校のひまわりさんも、キャラは違うかもしれないけど、どっちも本当のひまわりさん。
いろいろ秘めている内面でなく、どの面がキャラとして表に出るかってのが、出会う人や環境によって変わります。
経験を重ねるうちに、求められるキャラと居心地いいキャラが必ずしも全部一致しないこともそのうちわかってくると思います。
で、賢いキャラを背負い、全部答えなきゃいけないと思うのはしんどい。
その通りです。

僕もここhasunohaでたくさんのありがたしをいただいていますが、
答えられることにしか答えていません。

今はお辛いかもしれませんが、どこかのタイミングで例えば、
「この問題については20%くらいしか自信ないし、私も中学の時は実は成績良くなくて、間違った答え教えるのも辛いんで、間違っても責任持てんけどいい?」
と自信の度合いを数字で表すとか、間違った答えを教えるのは辛く、わざとじゃないとか、責任は持ちません、などの逃げ道つくった言い方ができると今よりも楽になると思います。

あと、聞いてきた人の自分よりも素敵なところを見つけておけると、自分が相手よりもデキる子キャラを演じなきゃいけないと思わなくて済むと思います。

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有り難し
おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者です。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しい地方の町のお寺にいます。人混みは苦手、都会のイルミネーションやサイネージはまぶしすぎる。だけど、ここhasunohaでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みがなくても話してみたいときは相談ください

お役に立てる喜びを持とう 人間は勉強力より幸せ力。

あなたの体は一つしかありません。
世界中のお悩みに答えられるわけではありません。
ですが、まるべく、困っている人の力にはなってあげるようにしてみてください。
人が勉強をする。仕事をする。
それは、互いに支え合うために、それぞれの力をつけているのです。
私には、私にしかできないことがあります。
勉強だったらもっとできる人が沢山います。
でも勉強だけできて優しくない人もいます。
心が狭い人もいます。
勉強以外の事がまるでできない人もいます。
勉強ができなくても、心優しい人も沢山います。
勉強ができなくても、人を幸せにできる人もいます。
私もそんなに勉強は得意ではありませんでした。
これだけは、胸を張って言えることですが、一つ特異なことがあります!
自慢じゃないですが私、結構、誤字脱字、得意です!
(そこ自慢する所じゃないし、得意とする所じゃないから…)
なんでも、自分の取り柄にしてみてください。
勉強ばっかりできる頭のイ~大学に行ったからって幸せじゃなかったり、やさしくなかったりってあります。人間は、勉強力より、幸せ力、穏やか力、にこやか力、です。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

たくさんありがとうございます。
自分よりも素敵なところを見つけておく
できていないところなので努力します。
幸せ力、穏やか力、にこやか力
とても大切なことだと思います。
高校に入って欠けていたと思います。
本当にありがとうございます!
これからもよろしくお願いします。

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